図書館へいく。 ― 2009/01/16

詩集を読みたくなって
図書館へ。
何故か詩集を買うと
いつでも読めるや、
と思って
ほったらかし。
だから図書館で借りた。
ちゃんと読むために。
素晴しい詩を読んでいると
必ず別の世界へ
妄想の旅に出てしまう。
ちょっくら旅に行って来ます。
図書館へ。
何故か詩集を買うと
いつでも読めるや、
と思って
ほったらかし。
だから図書館で借りた。
ちゃんと読むために。
素晴しい詩を読んでいると
必ず別の世界へ
妄想の旅に出てしまう。
ちょっくら旅に行って来ます。
おつき ― 2009/01/11
本日、気候的にお月さまの見える地域にお住まいのみなさま
夜空、見ましたか?
月がきれいでしたねえ。
一点の汚れもないように堂々と。
同じ月でも二度と今日と同じ月はない
アタリマエのことにいつも
はっとさせられてしまい
惜しむように眺めて
そして「有り難く」思ってしまう。
拝むように、祈るように。
ずっとニンゲンがしてきたように。
夜空、見ましたか?
月がきれいでしたねえ。
一点の汚れもないように堂々と。
同じ月でも二度と今日と同じ月はない
アタリマエのことにいつも
はっとさせられてしまい
惜しむように眺めて
そして「有り難く」思ってしまう。
拝むように、祈るように。
ずっとニンゲンがしてきたように。
知花食堂 ― 2009/01/04
石垣に行くと、
日参するビーチ、
米原。
その近くに「知花食堂」があるのです。
BEGINのメンバーが、ここの八重山そばを
気に入ってる、というのをTVで知りましたが
麺がなくなると営業が終わるらしく
お昼ちょっと過ぎに
かけこんでも
「もう今日はおわったさ〜」
と言われる事3度。
今回も二度目のトライで
やっとおそばにありつけたのですが
「そば」と「みそ汁」各一人前しかないというので
家族3人で分け合って食べました。
「みそ汁」と言っても、
具沢山でこれだけで立派にメインのお料理。
梅干しがのった山盛りのゴハンがつくのです。
おいしくてぺろりと平らげました。
お昼を食べに来ていた郵便配達の方と
おばあの話しによると、
この日で昨年の営業は終了。
私達が昨年最後のお客さんだったようです。
また行きたいなあ。
今度は早めにね。
写真はそば。レタスが入ってます。
日参するビーチ、
米原。
その近くに「知花食堂」があるのです。
BEGINのメンバーが、ここの八重山そばを
気に入ってる、というのをTVで知りましたが
麺がなくなると営業が終わるらしく
お昼ちょっと過ぎに
かけこんでも
「もう今日はおわったさ〜」
と言われる事3度。
今回も二度目のトライで
やっとおそばにありつけたのですが
「そば」と「みそ汁」各一人前しかないというので
家族3人で分け合って食べました。
「みそ汁」と言っても、
具沢山でこれだけで立派にメインのお料理。
梅干しがのった山盛りのゴハンがつくのです。
おいしくてぺろりと平らげました。
お昼を食べに来ていた郵便配達の方と
おばあの話しによると、
この日で昨年の営業は終了。
私達が昨年最後のお客さんだったようです。
また行きたいなあ。
今度は早めにね。
写真はそば。レタスが入ってます。
骨董屋で ― 2008/11/09

愛された記憶
遺される者の記憶
これからの時間
遺される者の記憶
これからの時間
オーロラのおと ― 2008/03/27
獅子座流星群を見た時だからもう前世紀のことだ。
ひときわ明るく出現したその流星は「ばん!!」と
音を立ててスパークし、流星痕を描いて東の空に消えた。
そのしばらくあとで当時五島プラネタリウムにいらした
村松修さんとお会いした時に
「流星が見えた時にばん!!て音がしたんですけど・・」
と恐る恐る申し出てみると
「確かに、音が聞こえた、とおっしゃる方がいらっしゃるんですよねえ」
と話してくれた。
昨年パリで名古屋科学館の毛利さんにも
そのことを言ってみた。
「本当の音だったら、あとで聞こえてくるはずですよね」
そうなのだ。音の進む速さからしたらオカシイ。
「確かに音がした、という人はいるんですよ。
でもみなさん、流星と同時に聞こえた、と言っているんです。
どうやら電磁波のようなものを
音として感じる人がいるらしいんです。」
と、毛利さんは話してくれた。
もしかして衝撃波?だったかな?
とにかく「音」じゃないものを「音」として感じるひとが
いるらしい。
濱田理恵さんにこのことを話した時に
「オーロラも、音が聴こえる、というひとがいるのよー」
とおっしゃった。
えええーー。
それはぜひ、見て聴いてみたい・・。
それに加えて、私はある条件下で
「音」を「光」として感じるというか、見えるんですけど
その話はまた次の機会に・・。
にんぎょひめ@シアタートラム ― 2007/12/20
世田谷シアタートラムでこどもの劇場2007
「にんぎょひめ」を一家3人で見た。
脚本・演出のテレーサ・ルドヴィコは、イタリア人で、
日本での上演は「美女と野獣」「雪の女王」に続き三作目。
前作も吉良君とコドモと見に行った。
今作も圧倒的に美しく詩的な舞台で
妥協のない美意識にノックアウトされた。
人魚姫がニンゲンの足を獲得すると、
その足は血まみれなのである。
日本人って、こういう描き方しないよね。
変容に伴う痛みを視覚的に皮膚感覚に訴えたり
(前作「雪の女王」のゲルダは見ていて気の毒な程寒そうだった)
こういった演出も巧み。
音楽の使い方も素晴しい。
最終日の昨日は当日券に並んだ!
生まれて初めてです。当日券に並んで見たいと思ったの。
何しろ、初見ではあまりの美しさに涙涙、で
もう最後の方よくわからなかったんだもん。
もっと冷静に見たい、と思った訳っす。
「人魚姫」といえば、
昔、私が3、4歳のとき、NHKの人形劇
(人形の体に棒がついてるやつ)で人魚姫をやっていて
母が「可哀想な話だからお母さんは見ない」と言ったのを
子供心に、悲しいのがいいんじゃない、情緒のないひとだなあ、
と思ったのを憶えている。
可哀想だからといってこのお話を避けるなんて、
物語を楽しむ心がない、と。
また、その頃の人形劇って、
しょっちゅう再放送してたんだな。
以来母の事を考えるときに
「人魚姫は見ない人だから」と思ってしまっていた時期があった。
まったく失礼なムスメであった。
そんなことは全然なかったんだけど。
母の作る俳句を見ると、よくわかる。
で、今回自分が大泣きしてしまったとき、
母と一緒に見たいな、と思った。
来年再演があるので、ぜひ母も誘おうと思う。
「にんぎょひめ」を一家3人で見た。
脚本・演出のテレーサ・ルドヴィコは、イタリア人で、
日本での上演は「美女と野獣」「雪の女王」に続き三作目。
前作も吉良君とコドモと見に行った。
今作も圧倒的に美しく詩的な舞台で
妥協のない美意識にノックアウトされた。
人魚姫がニンゲンの足を獲得すると、
その足は血まみれなのである。
日本人って、こういう描き方しないよね。
変容に伴う痛みを視覚的に皮膚感覚に訴えたり
(前作「雪の女王」のゲルダは見ていて気の毒な程寒そうだった)
こういった演出も巧み。
音楽の使い方も素晴しい。
最終日の昨日は当日券に並んだ!
生まれて初めてです。当日券に並んで見たいと思ったの。
何しろ、初見ではあまりの美しさに涙涙、で
もう最後の方よくわからなかったんだもん。
もっと冷静に見たい、と思った訳っす。
「人魚姫」といえば、
昔、私が3、4歳のとき、NHKの人形劇
(人形の体に棒がついてるやつ)で人魚姫をやっていて
母が「可哀想な話だからお母さんは見ない」と言ったのを
子供心に、悲しいのがいいんじゃない、情緒のないひとだなあ、
と思ったのを憶えている。
可哀想だからといってこのお話を避けるなんて、
物語を楽しむ心がない、と。
また、その頃の人形劇って、
しょっちゅう再放送してたんだな。
以来母の事を考えるときに
「人魚姫は見ない人だから」と思ってしまっていた時期があった。
まったく失礼なムスメであった。
そんなことは全然なかったんだけど。
母の作る俳句を見ると、よくわかる。
で、今回自分が大泣きしてしまったとき、
母と一緒に見たいな、と思った。
来年再演があるので、ぜひ母も誘おうと思う。
空のした ― 2007/11/08
11月の最初の日 ― 2007/11/01
「秋になるとね、寂しいの」
当時一人暮らしをしていた友人が言った。
もう20年くらいまえのこと。
秋になるといつもこのコトバを思い出すのだが
それから今までの年月を思ったら
寂しいだけじゃなくて虚しくなった。
私は何をしてきたのだろう?
CDやらに仕事は残っているかもしれないけれど
私はどこにいたのだろう?
ああ。
春は桜を見て無常観に襲われ
秋は枯れ葉を見て寂寥感に襲われるのう。
こんなときに救いになるのが
コドモがいることかもしれない。
未来に続くいのちを生み出した事は
確かだ。
私から生まれたくせに
まったく別なニンゲン。
時々、たくさんの子供を産んで
いつも子育てや家事のなかで暮らす人生だったら
どんなかな、と想像する。
山のような洗濯物を縁側で畳む。
お肉はおっきいパックのを買う。
おにいちゃん、おねえちゃん!!
名前がこんがらがっちゃう。
あったかくて日向みたいな毎日。
私が歩けなかった人生。
でも。
私の人生はもうこれしかないからな。
寂しくなったり楽しくなったりして
年を重ねていくんだね。
もう、11月だ。
当時一人暮らしをしていた友人が言った。
もう20年くらいまえのこと。
秋になるといつもこのコトバを思い出すのだが
それから今までの年月を思ったら
寂しいだけじゃなくて虚しくなった。
私は何をしてきたのだろう?
CDやらに仕事は残っているかもしれないけれど
私はどこにいたのだろう?
ああ。
春は桜を見て無常観に襲われ
秋は枯れ葉を見て寂寥感に襲われるのう。
こんなときに救いになるのが
コドモがいることかもしれない。
未来に続くいのちを生み出した事は
確かだ。
私から生まれたくせに
まったく別なニンゲン。
時々、たくさんの子供を産んで
いつも子育てや家事のなかで暮らす人生だったら
どんなかな、と想像する。
山のような洗濯物を縁側で畳む。
お肉はおっきいパックのを買う。
おにいちゃん、おねえちゃん!!
名前がこんがらがっちゃう。
あったかくて日向みたいな毎日。
私が歩けなかった人生。
でも。
私の人生はもうこれしかないからな。
寂しくなったり楽しくなったりして
年を重ねていくんだね。
もう、11月だ。
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