郡上八幡コンサート終了しました2016/08/29

20余年吉良家が通い詰めた郡上八幡。ZABADAKの30周年と、照明寺でのコンサート20周年と、郡上鮎が世界農業遺産に認定されたことを受けた記念の催しで、8月27.28日と、照明のお堂のコンサートと、郡上旧庁舎記念館川崎ホールでコンサートをしました。
この予定は昨年の10月から決まっていました。

今回はギタリスト鬼怒無月さんとバイオリニスト向島ゆり子さん、そして20回以上郡上に一緒に来ている息子の草太郎もベースでコンサートに参加しての
zabadak。
それに加えて昨年からの計画で「雲の言葉」をウィーン在住の音楽家の友人、斉藤雅昭さんに合唱アレンジしていただき、照明寺の合唱団「照声会」の皆さんが歌ってくださいました。美しく澄んだ歌声は、歌う方々の気持ちをそのまま映しているようでした。お客さんの応援も嬉しかったです。

昨年のコンサートのあと、いつもお世話になっている郡上のドン、武藤さんが
「すばらしい別荘があって、リニューアルするから来年は是非泊まってほしい」とおっしゃってくれていました。
「戸口から玄関までのアプローチが20メートルある」というお屋敷だということで、私も吉良くんも、どんなところなのかと楽しみにしていました。
想像以上にすてきなお宅でした。



もともと郡上へはギフチョウを見に訪れたのがきっかけです。
そのギフチョウの食草であるカンアオイがその家の中庭に植えられていました。武藤さんは「ここにギフチョウが来るようになってほしい」と。
吉良くんが訪れることはできなくなってしまいましたが、ギフチョウになって飛んで来るかもしれません。そうなるまで、郡上に通わなくては。




吉良くんの高校の同級生の酒向くんは名古屋から郡上まで、ミュージシャンチームをクルマで送迎してくれて、心細やかなサポートをしてくれました。菊池誠さんはサウンドチェックに信頼できる意見をくださり、サバ伸ちゃんもお手伝いたくさんしてくれました。
お寺の皆さん、観光協会のみなさんも、メグさん、お世話になったすべての皆さん、きてくださったみなさん、本当にありがとう。

お客さんから「また郡上に来てくださいね」って言われましたが、
実は、今回はあまりに想い出深い場所なので、行くのが怖かったんです。ココロが決壊したらどうしようか、と。でもそれは杞憂でした。みんなのあったかい想いに、逆に救われました。
20年かけてZABADAKと郡上が作り上げたご縁の深さは、より一層強くなっていると感じられ、感謝の気持ちしかありません。
よんでいただける限り、三千年の罪を軽くしに伺います。
どうか、みなさんこれからも吉良くんが生きていたことをライヴでも感じて、吉良くんが大好きだった郡上の街を好きになってほしいです。

ZABADAKはこれからいろいろと変容していくと思いますが(鬼怒さんがメキメキと音を立てて歌を歌っていく予感)吉良知彦の書いたたくさんの音楽をずっとずっと歌い演奏していきたいと思っています。
吉良くん、こんなにたくさんの曲をありがとう。
みなさん、どうかまたお運びください。



あの日から5年、4度目の郡山スペースパークコンサート終了2016/03/14

郡山スペースパークコンサート、無事に終了しました。

14:30からの回はせっかくいらしてくださったのに、ご入場出来なかった方もいたほど(申し訳ないです!)の満席でした。

遠く神奈川、東京、千葉、名古屋からもたくさんの方がきてくださり、本当にありがとうございました。


スペースパークは、音響への配慮ももちろん、楽屋にはドリンクやお菓子、着替えのスペース、ステージの手前にも姿見を置いてくださったり、いつもながらこまかい心配り。

感謝です。

星空の演出もいつも凝りに凝ってくださって、本当は渾身の映像を見たいのですけれど、演者は永遠に見られないというジレンマにもんどり打ってしまうのです。

プラネタリウムのコンサートには遠く神奈川、東京、千葉、名古屋からもたくさんの方がきてくださり、本当に嬉しかったです。みんな、福島を楽しんでくれたかな。


3/12のコンサートの日は、全国紙に福島県からの全面広告がでました。


「あなたの思う福島はどんな福島ですか?」
「いろいろな声によって誇張された福島はそこにはありません」



県内の新聞にはさらに、以下の部分が加えられていました。




風化させないようにと、「忘れない」という言葉が使われますが、私たちにとって、あの日からのことは、忘れることのほうが難しいのです 


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5年経ってこのような発信をするということはどんなことか、福島の置かれた難しい状況を改めて考えました。


広島と長崎の今の姿を知り、核実験がバカスカ行われてきた時代を経てきた私達は福島の事故の影響を冷静に考えよう、と思えるはず、です。


みなさん、福島にぜひ、きてくださいねー!!


いわき湯本温泉月まつり2015/10/11

小峰公子、清水いわき市長、白崎映美
昨日は、法事で母の生まれた須賀川市に行きました。
親戚のおばさまから「最近ブログ書いてないね」って言われてしまった。
すみません、最近はFacebookばっかり。
アサブロは写真のアップがちょっと面倒なので、つい怠けてしまっております。

いわきに行ったときのこと、書きました。
一部転載します。
https://www.facebook.com/koko.komine/posts/958063927573258?pnref=story

いわきに引っ越したばかりの時に、おとなりの庭に近所の人がたっくさんあつまってジンギスカンをしました。いわきって芋煮会でなくてジンギスカンって文化があるんだ〜って軽くショックだったものです。そこで初めて羊の肉を食べました。隣のおばさんが一升瓶に何本も自家製のタレを作ってくれていて、そのおいしかったこと…
というわけで、湯本温泉の月まつり焼き肉大会、なんと今年で、53回目だそうです。
最初は会場は山の上だったそうですが、現在は湯本駅前の駐車場を封鎖しまして盛大に行われています。
会場にはゴザがだだだーーとひかれ、そこに七輪がどあああああと並びます。800人規模の焼き肉…
4人で一つの七輪を囲みます。家族や会社やいろんなグループで、椅子やひざ掛けやら持ってきてみんなテンション高いです。
参加者にはお肉と野菜をパックにしたものがいただけます。それを「使い捨てジンギスカン鍋」で焼きます。
そんなのあったんだ〜って映美ちゃんとびっくり。
スタッフの方々のサービスがまたマメで、炭を足したり鍋を替えてくれたり、至れり尽くせりですよ。
さすが温泉という観光資源を大事にしてきた地域ならではの心配りですね。
熟女たちの踊る(一部若い方も)炭坑節、この日デビューだという念仏踊りのグループなど、地元の芸能も堪能できました。
閉会とともにみなさん街に繰り出すようで、どこの飲み屋さんからも賑やかな声が。

今回もクイーンの加藤さん、こいと旅館のこいとさんには大変お世話になりました!
来年はいっぱい友達連れていきたいなあ〜

ちなみに写真で私と映美ちゃんにはさまれてるのはいわきの清水市長さん。

除染から一年、測ってみた!2014/06/11


前々回のブログに、一年ほど前に行った、実家の除染の様子について書きました。


除染前、「除染してもすぐに(線量率が)上っちゃうんだってない」
というまことしやかなウワサがあったり、除染の効果は地形によるなどの話も耳にしましたが、果たして郡山の住宅地の場合はどうなのでしょう?
先週、郡山で放射線の勉強会があって帰郷、除染一年後の空間線量率がどうなったかを測ってくるチャンスにもなりました。

「いちから聞きたい放射線のほんとう いま知っておきたい22の話」に書いたものは2012年と2013年の測定の値でしたが、下の図には、それより前の2011年12月(原発事故から9ヶ月後)の測定値も書き込んであります。
まさかこんなに測り続けるとは思わなかったので、2011年には測定していない場所もあります。4回とも、友人からお借りしたHORIBAのRAdiを使用しています。RAdiは、実際の値よりも少し数値が高めにでますが、校正したら2割くらい高かったので、それくらいを差し引いて眺めてください。
*昨日アップした画像の誤りを修正しました(6/13 10:30am)
*画像をクリックすると画面が大きく表示されます

除染前後の空間線量率の推移






「除染したら安心して住めるようになった」というのが今回の感想。確実に効果が出ていると実感しました。
(北側にお住まいのお隣さんが除染してくれたらもっと数値が変わるんじゃないかな?と思いますが)

ちなみに、下の写真は勉強会のほうに集った放射線計測器の数々。これ、別に「お持ち寄り」が決まってるわけじゃなかったのに、みなさんが持っていたもの。び、びっくりしました…。
出席した方々は、知る限り北は宮城から南は九州まで、みなさんずっと福島と放射線のことを考えて、そして福島のことが好きになってくださってるのがとても嬉しい!


放射線勉強会@郡山

石垣島で2014/06/03


昨年石垣島に行った時、私が一番したかったのはこれです!
同じアングルで同じ二人を。
二人の顔は見えないけど、きっと笑い合ってる十数年前、大好きな写真。
そして確実に照れてる、いま、であった。





酒田ツアーその後2013/11/19

前日の、というか明け方までの?
打ち上げのお酒もまだ残ってるアタマで8時前に起床。
超睡眠不足ながら、どうしても酒田の町をみたい!

ホテルの、ちょうどお弁当を配達に行くという方に
「山居倉庫」まで送っていただきました。
途中見える鳥海山が美しい。あの山をいつも映美ちゃんは見ていたのね。

昨日見た酒田倉庫と違って
こちらは観光名所としても倉庫としても現役だそう。
川を渡るといくつもの三角屋根が。



「建物の裏がポスターになったところですよ」
と教えていただけてよかった。
ケヤキの落ち葉がきれい。



ウロウロあるいていたら、さきほど送ってくれたかたが
迎えに来て下さり、今度は「おくりびと」の撮影に使用された
建物でおろしていただきました。
酒田には古い建物がたくさん残っているんですね



即身仏のあるという神社にきたのですが
タイムアウトでそれはまた次回にしよう



こんなレトロな看板が


日和山公園から六角形の木製灯台が見えました


大急ぎで宿に戻ります。
コーヒーと差し入れのサンドイッチを食べちゃったけど、
いきなり映美ちゃんおすすめのワンタンメンたべにいくのだー!

おいしかったー!!




それから映美ちゃんが「ぜひみんなに見せたい、世界一のくらげの水族館」
という「加茂水族館」へ!

ひー。タコでかっ

でっかい水槽にすっげーいっぱいいます


ハナガサクラゲの美しさにまいったー。なんとデコラティブなヤツ!

@加茂水族館

水族館のおそとで記念撮影。
映美ちゃんのまわりにいるひとは
みんなあったげえハートのもぢぬしだあ。


希望ホールのきもちのよいスタッフのみなさん
(おいしい芋煮も、物販お手伝いもありがとう)
ホテルの皆さん、打ち上げのお店、白ばら、
ミュージシャン、スタッフのみなさん、そして
おいでくださった酒田の皆さん、酒田の町、ありがとー!!
是非また行きたい!
運転してくれたよう君、本当にお疲れ様!


「とうほぐまづりオールスターズ」酒田ツアー2013/11/13

山形県酒田で、酒田の生んだ2大スター、白崎映美ちゃんと、
津軽三味線の岡田修さんのライヴとトークの公演がありました。
私も「とうほぐまづりオールスターズ」の一員として参加してきました。

10月31日、都内でリハーサルを23時までしてから
クルマ移動チームはそのまま機材を積み込み酒田へ。
運転のようくんは一度もハンドルをゆずらないツワモノでした。


写真手前のイイオトコはギターの伏見蛍くん。

夜が明けて日本海が見えてくるとテンション上がってきました!


日本海




まずは酒田の港の食堂で朝ごはん。
映美ちゃんは「しらさきさんですね?」
と食堂のおねえさんに声かけられたり、さすが酒田の誇るスターなのだった。
漬け丼うまし!しかしわたしには多すぎて蛍くんに助けてもらう。
ご飯分けてあげるとちょっとお母さん気分だぜ。
ベースの西やんが「漬け丼に温泉卵かけるとうまい!」と感動する前の記念すべき一枚。

別の車でやってきたブラスとパーカスのクンクンニコニコ共和国のみんなも
合流。



そこから ホテルで休息。
まずオフロに入ってそこから気持よく爆睡でした。
映美ちゃんはクンニコ共和国のみんなと
酒田の町を練り歩いたのですけど、参加断念。

さていよいよ希望という名のホールに向かう途中、
ホテルのご主人が酒田倉庫に連れて行ってくれました。
国立の、米の倉庫だったところだそうです。




取り壊しが決まったものの、大変なお金がかかるというので
そのままになっているらしいんですが
莫大な費用を、保存と「活かす」方向にもっていけないのかな。
廃墟マニアにはたまらない場所。


翌日は現役の山居倉庫に行ったのですが、
対をなす倉庫として遺してほしいなと思いました。

さていよいよホール入り。
使い勝手のいいホールですねー。
サウンドチェックでゆり子さん、まさかのマーシャル!!に
「これはないわあ」の図。


これだけにあと4人、プラスのメンバー。
あ、幼稚園児たちも出てくれたんです。
とうほぐまづりオールスターズ

本番前は美味しい芋煮や、つやひめというお米のおにぎり、
なしや柿やリンゴをたくさんいただきましたー!

本番前に記念写真、残念ながらクンニコの女性チームがいないけど
この人数! このコスチューム!
特に山伏さんと西馬音内から駆けつけてくれた
笛太鼓チームがカッコイイ!



本番は楽しかったねえ。客席の後ろの扉からの入退場、
1000人規模のホールがほぼ埋まっていてすごい熱気でした。
映美ちゃんのパワーすばらし。
山伏さんは法螺貝を吹くは、西馬音内の太鼓は響くはの豪華版。
幼稚園のみなさんもかわいかったあ。

打ち上げはお世話になったみなさんと。
おいしいお酒がいっぱい出てきました。
気分はまさにじょうきげん


その後、グランドキャバレー「白ばら」の見学に。
昭和の夢がそのまま残るステキパラダイス!



ここで撮影したい・・

翌日に続く!!

郡山〜いわき〜富岡 その22013/05/22

5月18日、朝9時に「郡山駅東口」で

勉強会のオプショナルツアー参加のみなさんと

待ち合わせしたのですが、

東口って行ったことがなくて、自由通路を見つけるのに苦労。

おまたせした皆さん申し訳ないです。

しかも「いわゆる駅前」からすっごい距離歩くのね。

甘く見てました。


さて、ここからいわきへ。

主催のSさんが手配してくださったレンタカーと

もう1台は筑波からいらしたIさんのクルマ、2台に分乗でゴー!


体温計よりちょっと大きいくらいの

積算線量計を貸していただいて携行します。


いわきまでの道すがら、山には藤が今を盛りと咲いていて、とてもきれい。

咲くとわかる、こんなに藤があるんだねえー。

ちょうど田植えをしている田んぼも。

父の田舎の塙に、車でよく帰ったことを思い出します。


山はいろんな緑が芽吹いていて、見ているだけで楽しい。

まずトイレ休憩を兼ねて「道の駅よつくら港」に寄りました。

ここはだいぶ整備されていましたが

それでも漁船の積まれた一画が。


よつくら港


私はここで地元のおばあちゃん手作りのお漬物を購入。

ほかにもおいしそうなものがたくさんありました。


久之浜の駅で地元の方と合流して海岸のほうへ。

久之浜は津波の上に火事もあり、大きな被害がでたのに

それほど報道には取り上げられなかったところ。


目の前が急に開けました。

家の土台だけが残されて、

ここに確かに生活があったという痕跡が。

たくさんのお花で飾られた場所もあります。


門の扉だけが残されていました。

ここにいくつもの「いってきます」と「おかえり」があったはず




毎年庭を飾っていたのでしょう、

アイリスが咲いています


久ノ浜

彼方に奇跡のように残った神社


久ノ浜



海辺にはハマエンドウが咲いていました


ハマエンドウ@久之浜


この場所に遺る、いのちの、くらしの痕跡が痛々しい



久之浜



そこから富岡を目指します。


どこにでもある田舎の風景だったのが

道の両脇に除染した土を入れた黒い大きな袋が目立ち始めます。


除染した土



「どうしてここの山は除染して隣はやらないんだろうねえ?」

「うーん。民家も近くにないし、どうしてだろう…」

「あ、ここは民家の近くだからかな」

「除染はどんな優先順位でしてるのかな?」

車内は疑問でいっぱいなのですが、

傍目にはその優先度がまだらにみえても、

除染作業は粛々と行われているようでした。

まだらといえば、持ち込んだ数台の放射線測定器を見ていても、

数値がちょっとの距離で高くなったり低くなったり。

事故の時の風向きとか地形などが影響しているのでしょうけれど

「はい、原発から何キロ圏内だからここからは高い!避難!」

とか、そういうことではないと実感します。



行く先にたくさんの警官の姿。

「この先帰還困難区域」の看板。

ここからは通行証がないと通れません。


富岡




富岡



計測器やカメラ片手に車から飛び出すワレワレは「職質」されました。

どこからきたのか、どんな「団体」か、どんな職業か。

職業に関してはこちらはすごいぞ。

O先生ったら某大学学長補佐だしな。

(その点ミュージシャンは弱い。)

某研究機関のIさんはひるまず逆に警視庁の人々を質問攻め。

そのおかげでいろいろとお話を伺えました。

警察官の線量計を見せてもらうなんていうのはIさんにしかできないな。


ここでの地表面近くの値。

地表1メートル地点でも5μSv以上…

富岡



これまで行ったどこよりも高線量。

緊張してしまう。



そこから富岡駅(だったところ)に向かいます。

道路沿いのたくさんの民家は地震のあとのまま




富岡




富岡はこの3月まで立ち入れなかった地域。


「ぜひ見ていって欲しい」と、ここも地元の方が

案内してくれました。


家も車も津波と地震にあった、そのままです



これは富岡駅

駅舎を津波が持って行ってしまった


富岡駅


富岡



そこから桜の名所へ。

でも桜並木の途中からは帰還困難区域。

ここから先には行けません






道路一本隔てれば帰還困難区域ということでフェンスで仕切られていますが、

ひょい、とまたげば入っていくことはできる。

じゃあなにを隔てているんだろう

空き巣 なんかの抑止力にはなるのか…


病院もガソリンスタンドも

東邦銀行もヨークベニマルもツルハドラッグも全部がただのハコです。


人が消えて放射線にさらされた街並みには愕然としてしまい、

写真を撮る気力も失くしました。

途中、乗り捨てられた車の多さにも驚きました。

生活を失くした人がそれだけいるということ…



さらに福島第二原発の塔の見える海沿いへ。

ここにも家がたくさんあったそうです。

木立の向こうが第二原発。






同じ福島、同じ日本の中。

目に見えるものも見えないものもぐっさりと心に突き刺さった

忘れられない本当に貴重な一日でした。

また時間があるときにゆっくり訪ねたいと思います。

そして、私にできることは何か

いつも考えていかなければと、改めて思いました。


お世話になった福島の皆さま、

同行の皆さま、企画してくださったSさん、

本当にお世話になりました。


この日の放射線積算値は3μSv

積算計