バークリー訪問「いちから」海を越える2017/12/13

海外旅行経験は少なくはないと思うのですが、アメリカには近くのグアムにさえ行ったことがありませんでした。
zabadakがミックスダウンでロスに行った時も一緒に行けたのですが「興味ない…」と留守番しておりました。
ですが、このトシになって初めてアメリカ西海岸に行ってきました。



もう一ヶ月以上も前になってしまいましたが、10月30日、バークレー国立研究所と米カリフォルニア大学バークレー校日本研究センターが主催するイベントデイヴィッド・ブラウワー・センターで行われ、そのレセプションパーティーのオープニングで福島民謡「相馬二遍返し」を歌うという機会をいただいたのです。
このイベントは「The Future of Fukushima; A New Generation Rises to the Challenge」 “How did high school students – using innovative sensors and big data – promote the recovery from an environmental disaster?”
というタイトル。バークレー国立研究所の村上治子博士と東京大学の早野龍五名誉教授の協力で実現、福島から3人の高校生が登壇して福島の現在の姿とビジョンを語るというものでした。


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本文ラストのところで
「Please enjoy Fukushima’s folk song by Koko Komine and some beautiful photos by Jun Takai with traditional meal.」
とご紹介いただいています。私と一緒に紹介されている高井さんは、いわきの末続に通って写真を撮り続けていらっしゃる写真家で(間違ってないよね)、末続で暮らす人々の息遣いや声が聞こえてくるような写真が展示されました。
きっと、見た方は「え、原発の近くの村でも普通に暮らしてるんだ!」とびっくりされたかもしれません。

菊池誠・おかざき真里・小峰公子共著作の「いちから聞きたい放射線のほんとう いま知っておきたい22の話」のパネルも竜田一人さんの「いちえふ」の英語版などと共に展示していただきました。
テレビユー福島さんのご尽力でとってもかっこいい映像をバックに歌ったのですが、ヘタクソな英語のスピーチでどれだけこの歌への思いが伝わったかな?ともかく、福島民謡を歌えたことは大変光栄なことでした。



そして、その手応えをすぐに感じることができました。
この日、友人の妹さんで現地にお住まいの方が来てくださったのですが、参加するまでは「福島どころか日本の食べ物は汚染されていて食べられないと思っていた」というのです。実際に高校生たちの発表を聞き、いろいろな展示を見て、現状をわかっていただけたようです。「思っていたのとぜんぜん違う」と驚かれていました。



日本でもいまだに「福島はひどい状況なのに政府が隠蔽している」「海外のサイトのほうが信用できる、日本人は知らされていないだけだ」という方がいます。
国内外のページビュー数稼ぎのデマサイトを「真実だ」と思っている方々がいるのは残念なことです。
そもそも、ちょっと調べれば寄せ集めとわかるような写真でいっぱいのサイトの中に「誰も知らない真実」なんかない、と思うのですが…。

もっともっと、福島の、誰でもないただのひとりひとりの暮らす姿を、言葉を知ってほしいと思いました。
実際に足を運んで福島の美味しいものやすごくなんでもない田舎な景色を堪能していただくのが一番だけど、遠い国にはこうやってこちらから出かけて行って、ありのままを自分たちの肉体から伝えるのはとても大事、その一役を担えたのならば、音楽をやってて、そして苦労して放射線の本を出してよかったな、と思いました。

なんと、karakのCDを持ってきてくださった現地のファンのかたもいらして感激。(一緒に写ってるビール、おいしかった!)



高校生のみなさんとご一緒したおかげで、翌日からのバークリーのラボやアップル本社、グーグル本社のなどの社会見学ができたのは貴重な体験でした!
本場のハロウィーンも楽しめました!

私をこのイベントと繋いでくださった渡ひろこさん、早野龍五さんはじめ登壇したみなさん、すべてのたっくさんのスタッフと現地でアテンドしてくださったみなさん、会場に来てくださったみなさんに感謝します。

*環境省のサイトにも当日の様子が掲載されております。こちらは日本語なのでぜひ見て下さいね!!



バスのはなし2017/03/11

花粉がいっぱい飛んでいる、春の日

A:「このバスはどこにいくのですか?」
B:「実はわたしも知りません。さあ、どこでしょうねえ」
C:「運転手さんにきくのがよいでしょう」
A:「では、きいてみます。運転手さん、」
D:「はい、席を立ってはいけません」
A:「ああ、はい、このバスはどこに行くのですか」
D:「さあ、私も知りません。わたしはただ、バス停を追いかけているのです」
E:「やっぱりね、僕はぜんぶ知ってたよ。次で、おります」

それがいい

郡上八幡コンサート終了しました2016/08/29

20余年吉良家が通い詰めた郡上八幡。ZABADAKの30周年と、照明寺でのコンサート20周年と、郡上鮎が世界農業遺産に認定されたことを受けた記念の催しで、8月27.28日と、照明のお堂のコンサートと、郡上旧庁舎記念館川崎ホールでコンサートをしました。
この予定は昨年の10月から決まっていました。

今回はギタリスト鬼怒無月さんとバイオリニスト向島ゆり子さん、そして20回以上郡上に一緒に来ている息子の草太郎もベースでコンサートに参加しての
zabadak。
それに加えて昨年からの計画で「雲の言葉」をウィーン在住の音楽家の友人、斉藤雅昭さんに合唱アレンジしていただき、照明寺の合唱団「照声会」の皆さんが歌ってくださいました。美しく澄んだ歌声は、歌う方々の気持ちをそのまま映しているようでした。お客さんの応援も嬉しかったです。

昨年のコンサートのあと、いつもお世話になっている郡上のドン、武藤さんが
「すばらしい別荘があって、リニューアルするから来年は是非泊まってほしい」とおっしゃってくれていました。
「戸口から玄関までのアプローチが20メートルある」というお屋敷だということで、私も吉良くんも、どんなところなのかと楽しみにしていました。
想像以上にすてきなお宅でした。



もともと郡上へはギフチョウを見に訪れたのがきっかけです。
そのギフチョウの食草であるカンアオイがその家の中庭に植えられていました。武藤さんは「ここにギフチョウが来るようになってほしい」と。
吉良くんが訪れることはできなくなってしまいましたが、ギフチョウになって飛んで来るかもしれません。そうなるまで、郡上に通わなくては。




吉良くんの高校の同級生の酒向くんは名古屋から郡上まで、ミュージシャンチームをクルマで送迎してくれて、心細やかなサポートをしてくれました。菊池誠さんはサウンドチェックに信頼できる意見をくださり、サバ伸ちゃんもお手伝いたくさんしてくれました。
お寺の皆さん、観光協会のみなさんも、メグさん、お世話になったすべての皆さん、きてくださったみなさん、本当にありがとう。

お客さんから「また郡上に来てくださいね」って言われましたが、
実は、今回はあまりに想い出深い場所なので、行くのが怖かったんです。ココロが決壊したらどうしようか、と。でもそれは杞憂でした。みんなのあったかい想いに、逆に救われました。
20年かけてZABADAKと郡上が作り上げたご縁の深さは、より一層強くなっていると感じられ、感謝の気持ちしかありません。
よんでいただける限り、三千年の罪を軽くしに伺います。
どうか、みなさんこれからも吉良くんが生きていたことをライヴでも感じて、吉良くんが大好きだった郡上の街を好きになってほしいです。

ZABADAKはこれからいろいろと変容していくと思いますが(鬼怒さんがメキメキと音を立てて歌を歌っていく予感)吉良知彦の書いたたくさんの音楽をずっとずっと歌い演奏していきたいと思っています。
吉良くん、こんなにたくさんの曲をありがとう。
みなさん、どうかまたお運びください。



あの日から5年、4度目の郡山スペースパークコンサート終了2016/03/14

郡山スペースパークコンサート、無事に終了しました。

14:30からの回はせっかくいらしてくださったのに、ご入場出来なかった方もいたほど(申し訳ないです!)の満席でした。

遠く神奈川、東京、千葉、名古屋からもたくさんの方がきてくださり、本当にありがとうございました。


スペースパークは、音響への配慮ももちろん、楽屋にはドリンクやお菓子、着替えのスペース、ステージの手前にも姿見を置いてくださったり、いつもながらこまかい心配り。

感謝です。

星空の演出もいつも凝りに凝ってくださって、本当は渾身の映像を見たいのですけれど、演者は永遠に見られないというジレンマにもんどり打ってしまうのです。

プラネタリウムのコンサートには遠く神奈川、東京、千葉、名古屋からもたくさんの方がきてくださり、本当に嬉しかったです。みんな、福島を楽しんでくれたかな。


3/12のコンサートの日は、全国紙に福島県からの全面広告がでました。


「あなたの思う福島はどんな福島ですか?」
「いろいろな声によって誇張された福島はそこにはありません」



県内の新聞にはさらに、以下の部分が加えられていました。




風化させないようにと、「忘れない」という言葉が使われますが、私たちにとって、あの日からのことは、忘れることのほうが難しいのです 


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5年経ってこのような発信をするということはどんなことか、福島の置かれた難しい状況を改めて考えました。


広島と長崎の今の姿を知り、核実験がバカスカ行われてきた時代を経てきた私達は福島の事故の影響を冷静に考えよう、と思えるはず、です。


みなさん、福島にぜひ、きてくださいねー!!


いわき湯本温泉月まつり2015/10/11

小峰公子、清水いわき市長、白崎映美
昨日は、法事で母の生まれた須賀川市に行きました。
親戚のおばさまから「最近ブログ書いてないね」って言われてしまった。
すみません、最近はFacebookばっかり。
アサブロは写真のアップがちょっと面倒なので、つい怠けてしまっております。

いわきに行ったときのこと、書きました。
一部転載します。
https://www.facebook.com/koko.komine/posts/958063927573258?pnref=story

いわきに引っ越したばかりの時に、おとなりの庭に近所の人がたっくさんあつまってジンギスカンをしました。いわきって芋煮会でなくてジンギスカンって文化があるんだ〜って軽くショックだったものです。そこで初めて羊の肉を食べました。隣のおばさんが一升瓶に何本も自家製のタレを作ってくれていて、そのおいしかったこと…
というわけで、湯本温泉の月まつり焼き肉大会、なんと今年で、53回目だそうです。
最初は会場は山の上だったそうですが、現在は湯本駅前の駐車場を封鎖しまして盛大に行われています。
会場にはゴザがだだだーーとひかれ、そこに七輪がどあああああと並びます。800人規模の焼き肉…
4人で一つの七輪を囲みます。家族や会社やいろんなグループで、椅子やひざ掛けやら持ってきてみんなテンション高いです。
参加者にはお肉と野菜をパックにしたものがいただけます。それを「使い捨てジンギスカン鍋」で焼きます。
そんなのあったんだ〜って映美ちゃんとびっくり。
スタッフの方々のサービスがまたマメで、炭を足したり鍋を替えてくれたり、至れり尽くせりですよ。
さすが温泉という観光資源を大事にしてきた地域ならではの心配りですね。
熟女たちの踊る(一部若い方も)炭坑節、この日デビューだという念仏踊りのグループなど、地元の芸能も堪能できました。
閉会とともにみなさん街に繰り出すようで、どこの飲み屋さんからも賑やかな声が。

今回もクイーンの加藤さん、こいと旅館のこいとさんには大変お世話になりました!
来年はいっぱい友達連れていきたいなあ〜

ちなみに写真で私と映美ちゃんにはさまれてるのはいわきの清水市長さん。

除染から一年、測ってみた!2014/06/11


前々回のブログに、一年ほど前に行った、実家の除染の様子について書きました。


除染前、「除染してもすぐに(線量率が)上っちゃうんだってない」
というまことしやかなウワサがあったり、除染の効果は地形によるなどの話も耳にしましたが、果たして郡山の住宅地の場合はどうなのでしょう?
先週、郡山で放射線の勉強会があって帰郷、除染一年後の空間線量率がどうなったかを測ってくるチャンスにもなりました。

「いちから聞きたい放射線のほんとう いま知っておきたい22の話」に書いたものは2012年と2013年の測定の値でしたが、下の図には、それより前の2011年12月(原発事故から9ヶ月後)の測定値も書き込んであります。
まさかこんなに測り続けるとは思わなかったので、2011年には測定していない場所もあります。4回とも、友人からお借りしたHORIBAのRAdiを使用しています。RAdiは、実際の値よりも少し数値が高めにでますが、校正したら2割くらい高かったので、それくらいを差し引いて眺めてください。
*昨日アップした画像の誤りを修正しました(6/13 10:30am)
*画像をクリックすると画面が大きく表示されます

除染前後の空間線量率の推移






「除染したら安心して住めるようになった」というのが今回の感想。確実に効果が出ていると実感しました。
(北側にお住まいのお隣さんが除染してくれたらもっと数値が変わるんじゃないかな?と思いますが)

ちなみに、下の写真は勉強会のほうに集った放射線計測器の数々。これ、別に「お持ち寄り」が決まってるわけじゃなかったのに、みなさんが持っていたもの。び、びっくりしました…。
出席した方々は、知る限り北は宮城から南は九州まで、みなさんずっと福島と放射線のことを考えて、そして福島のことが好きになってくださってるのがとても嬉しい!


放射線勉強会@郡山

石垣島で2014/06/03


昨年石垣島に行った時、私が一番したかったのはこれです!
同じアングルで同じ二人を。
二人の顔は見えないけど、きっと笑い合ってる十数年前、大好きな写真。
そして確実に照れてる、いま、であった。





酒田ツアーその後2013/11/19

前日の、というか明け方までの?
打ち上げのお酒もまだ残ってるアタマで8時前に起床。
超睡眠不足ながら、どうしても酒田の町をみたい!

ホテルの、ちょうどお弁当を配達に行くという方に
「山居倉庫」まで送っていただきました。
途中見える鳥海山が美しい。あの山をいつも映美ちゃんは見ていたのね。

昨日見た酒田倉庫と違って
こちらは観光名所としても倉庫としても現役だそう。
川を渡るといくつもの三角屋根が。



「建物の裏がポスターになったところですよ」
と教えていただけてよかった。
ケヤキの落ち葉がきれい。



ウロウロあるいていたら、さきほど送ってくれたかたが
迎えに来て下さり、今度は「おくりびと」の撮影に使用された
建物でおろしていただきました。
酒田には古い建物がたくさん残っているんですね



即身仏のあるという神社にきたのですが
タイムアウトでそれはまた次回にしよう



こんなレトロな看板が


日和山公園から六角形の木製灯台が見えました


大急ぎで宿に戻ります。
コーヒーと差し入れのサンドイッチを食べちゃったけど、
いきなり映美ちゃんおすすめのワンタンメンたべにいくのだー!

おいしかったー!!




それから映美ちゃんが「ぜひみんなに見せたい、世界一のくらげの水族館」
という「加茂水族館」へ!

ひー。タコでかっ

でっかい水槽にすっげーいっぱいいます


ハナガサクラゲの美しさにまいったー。なんとデコラティブなヤツ!

@加茂水族館

水族館のおそとで記念撮影。
映美ちゃんのまわりにいるひとは
みんなあったげえハートのもぢぬしだあ。


希望ホールのきもちのよいスタッフのみなさん
(おいしい芋煮も、物販お手伝いもありがとう)
ホテルの皆さん、打ち上げのお店、白ばら、
ミュージシャン、スタッフのみなさん、そして
おいでくださった酒田の皆さん、酒田の町、ありがとー!!
是非また行きたい!
運転してくれたよう君、本当にお疲れ様!