郡山〜いわき〜富岡 その22013/05/22

5月18日、朝9時に「郡山駅東口」で

勉強会のオプショナルツアー参加のみなさんと

待ち合わせしたのですが、

東口って行ったことがなくて、自由通路を見つけるのに苦労。

おまたせした皆さん申し訳ないです。

しかも「いわゆる駅前」からすっごい距離歩くのね。

甘く見てました。


さて、ここからいわきへ。

主催のSさんが手配してくださったレンタカーと

もう1台は筑波からいらしたIさんのクルマ、2台に分乗でゴー!


体温計よりちょっと大きいくらいの

積算線量計を貸していただいて携行します。


いわきまでの道すがら、山には藤が今を盛りと咲いていて、とてもきれい。

咲くとわかる、こんなに藤があるんだねえー。

ちょうど田植えをしている田んぼも。

父の田舎の塙に、車でよく帰ったことを思い出します。


山はいろんな緑が芽吹いていて、見ているだけで楽しい。

まずトイレ休憩を兼ねて「道の駅よつくら港」に寄りました。

ここはだいぶ整備されていましたが

それでも漁船の積まれた一画が。


よつくら港


私はここで地元のおばあちゃん手作りのお漬物を購入。

ほかにもおいしそうなものがたくさんありました。


久之浜の駅で地元の方と合流して海岸のほうへ。

久之浜は津波の上に火事もあり、大きな被害がでたのに

それほど報道には取り上げられなかったところ。


目の前が急に開けました。

家の土台だけが残されて、

ここに確かに生活があったという痕跡が。

たくさんのお花で飾られた場所もあります。


門の扉だけが残されていました。

ここにいくつもの「いってきます」と「おかえり」があったはず




毎年庭を飾っていたのでしょう、

アイリスが咲いています


久ノ浜

彼方に奇跡のように残った神社


久ノ浜



海辺にはハマエンドウが咲いていました


ハマエンドウ@久之浜


この場所に遺る、いのちの、くらしの痕跡が痛々しい



久之浜



そこから富岡を目指します。


どこにでもある田舎の風景だったのが

道の両脇に除染した土を入れた黒い大きな袋が目立ち始めます。


除染した土



「どうしてここの山は除染して隣はやらないんだろうねえ?」

「うーん。民家も近くにないし、どうしてだろう…」

「あ、ここは民家の近くだからかな」

「除染はどんな優先順位でしてるのかな?」

車内は疑問でいっぱいなのですが、

傍目にはその優先度がまだらにみえても、

除染作業は粛々と行われているようでした。

まだらといえば、持ち込んだ数台の放射線測定器を見ていても、

数値がちょっとの距離で高くなったり低くなったり。

事故の時の風向きとか地形などが影響しているのでしょうけれど

「はい、原発から何キロ圏内だからここからは高い!避難!」

とか、そういうことではないと実感します。



行く先にたくさんの警官の姿。

「この先帰還困難区域」の看板。

ここからは通行証がないと通れません。


富岡




富岡



計測器やカメラ片手に車から飛び出すワレワレは「職質」されました。

どこからきたのか、どんな「団体」か、どんな職業か。

職業に関してはこちらはすごいぞ。

O先生ったら某大学学長補佐だしな。

(その点ミュージシャンは弱い。)

某研究機関のIさんはひるまず逆に警視庁の人々を質問攻め。

そのおかげでいろいろとお話を伺えました。

警察官の線量計を見せてもらうなんていうのはIさんにしかできないな。


ここでの地表面近くの値。

地表1メートル地点でも5μSv以上…

富岡



これまで行ったどこよりも高線量。

緊張してしまう。



そこから富岡駅(だったところ)に向かいます。

道路沿いのたくさんの民家は地震のあとのまま




富岡




富岡はこの3月まで立ち入れなかった地域。


「ぜひ見ていって欲しい」と、ここも地元の方が

案内してくれました。


家も車も津波と地震にあった、そのままです



これは富岡駅

駅舎を津波が持って行ってしまった


富岡駅


富岡



そこから桜の名所へ。

でも桜並木の途中からは帰還困難区域。

ここから先には行けません






道路一本隔てれば帰還困難区域ということでフェンスで仕切られていますが、

ひょい、とまたげば入っていくことはできる。

じゃあなにを隔てているんだろう

空き巣 なんかの抑止力にはなるのか…


病院もガソリンスタンドも

東邦銀行もヨークベニマルもツルハドラッグも全部がただのハコです。


人が消えて放射線にさらされた街並みには愕然としてしまい、

写真を撮る気力も失くしました。

途中、乗り捨てられた車の多さにも驚きました。

生活を失くした人がそれだけいるということ…



さらに福島第二原発の塔の見える海沿いへ。

ここにも家がたくさんあったそうです。

木立の向こうが第二原発。






同じ福島、同じ日本の中。

目に見えるものも見えないものもぐっさりと心に突き刺さった

忘れられない本当に貴重な一日でした。

また時間があるときにゆっくり訪ねたいと思います。

そして、私にできることは何か

いつも考えていかなければと、改めて思いました。


お世話になった福島の皆さま、

同行の皆さま、企画してくださったSさん、

本当にお世話になりました。


この日の放射線積算値は3μSv

積算計