「とうほぐまづりオールスターズ」酒田ツアー ― 2013/11/13
郡山〜いわき〜富岡 その2 ― 2013/05/22
5月18日、朝9時に「郡山駅東口」で
勉強会のオプショナルツアー参加のみなさんと
待ち合わせしたのですが、
東口って行ったことがなくて、自由通路を見つけるのに苦労。
おまたせした皆さん申し訳ないです。
しかも「いわゆる駅前」からすっごい距離歩くのね。
甘く見てました。
さて、ここからいわきへ。
主催のSさんが手配してくださったレンタカーと
もう1台は筑波からいらしたIさんのクルマ、2台に分乗でゴー!
体温計よりちょっと大きいくらいの
積算線量計を貸していただいて携行します。
いわきまでの道すがら、山には藤が今を盛りと咲いていて、とてもきれい。
咲くとわかる、こんなに藤があるんだねえー。
ちょうど田植えをしている田んぼも。
父の田舎の塙に、車でよく帰ったことを思い出します。
山はいろんな緑が芽吹いていて、見ているだけで楽しい。
まずトイレ休憩を兼ねて「道の駅よつくら港」に寄りました。
ここはだいぶ整備されていましたが
それでも漁船の積まれた一画が。
私はここで地元のおばあちゃん手作りのお漬物を購入。
ほかにもおいしそうなものがたくさんありました。
久之浜の駅で地元の方と合流して海岸のほうへ。
久之浜は津波の上に火事もあり、大きな被害がでたのに
それほど報道には取り上げられなかったところ。
目の前が急に開けました。
家の土台だけが残されて、
ここに確かに生活があったという痕跡が。
たくさんのお花で飾られた場所もあります。
門の扉だけが残されていました。
ここにいくつもの「いってきます」と「おかえり」があったはず
毎年庭を飾っていたのでしょう、
アイリスが咲いています
彼方に奇跡のように残った神社
海辺にはハマエンドウが咲いていました
この場所に遺る、いのちの、くらしの痕跡が痛々しい
そこから富岡を目指します。
どこにでもある田舎の風景だったのが
道の両脇に除染した土を入れた黒い大きな袋が目立ち始めます。
「どうしてここの山は除染して隣はやらないんだろうねえ?」
「うーん。民家も近くにないし、どうしてだろう…」
「あ、ここは民家の近くだからかな」
「除染はどんな優先順位でしてるのかな?」
車内は疑問でいっぱいなのですが、
傍目にはその優先度がまだらにみえても、
除染作業は粛々と行われているようでした。
まだらといえば、持ち込んだ数台の放射線測定器を見ていても、
数値がちょっとの距離で高くなったり低くなったり。
事故の時の風向きとか地形などが影響しているのでしょうけれど
「はい、原発から何キロ圏内だからここからは高い!避難!」
とか、そういうことではないと実感します。
行く先にたくさんの警官の姿。
「この先帰還困難区域」の看板。
ここからは通行証がないと通れません。
計測器やカメラ片手に車から飛び出すワレワレは「職質」されました。
どこからきたのか、どんな「団体」か、どんな職業か。
職業に関してはこちらはすごいぞ。
O先生ったら某大学学長補佐だしな。
(その点ミュージシャンは弱い。)
某研究機関のIさんはひるまず逆に警視庁の人々を質問攻め。
そのおかげでいろいろとお話を伺えました。
警察官の線量計を見せてもらうなんていうのはIさんにしかできないな。
ここでの地表面近くの値。
地表1メートル地点でも5μSv以上…
これまで行ったどこよりも高線量。
緊張してしまう。
そこから富岡駅(だったところ)に向かいます。
道路沿いのたくさんの民家は地震のあとのまま
富岡はこの3月まで立ち入れなかった地域。
「ぜひ見ていって欲しい」と、ここも地元の方が
案内してくれました。
家も車も津波と地震にあった、そのままです
これは富岡駅
駅舎を津波が持って行ってしまった
そこから桜の名所へ。
でも桜並木の途中からは帰還困難区域。
ここから先には行けません
道路一本隔てれば帰還困難区域ということでフェンスで仕切られていますが、
ひょい、とまたげば入っていくことはできる。
じゃあなにを隔てているんだろう
空き巣 なんかの抑止力にはなるのか…
病院もガソリンスタンドも
東邦銀行もヨークベニマルもツルハドラッグも全部がただのハコです。
人が消えて放射線にさらされた街並みには愕然としてしまい、
写真を撮る気力も失くしました。
途中、乗り捨てられた車の多さにも驚きました。
生活を失くした人がそれだけいるということ…
さらに福島第二原発の塔の見える海沿いへ。
ここにも家がたくさんあったそうです。
木立の向こうが第二原発。
同じ福島、同じ日本の中。
目に見えるものも見えないものもぐっさりと心に突き刺さった
忘れられない本当に貴重な一日でした。
また時間があるときにゆっくり訪ねたいと思います。
そして、私にできることは何か
いつも考えていかなければと、改めて思いました。
お世話になった福島の皆さま、
同行の皆さま、企画してくださったSさん、
本当にお世話になりました。
この日の放射線積算値は3μSv
郡山〜いわき〜富岡 その1 ― 2013/05/21
5月17日、郡山に行ってきました。
この日は福島市で内部被爆や食品に関する講演会があり、
最初はそれに出ようと思っていました。
しかしご一緒するはずの友人が参加できないことになって、
急遽変更。
それはTwitterで参加を募っていたた少々マニアックな
「放射線計測勉強会」というもの。
対象が
----------------------------------------------------------
・放射線計測の一通りの基礎知識はあって,もう少し詳しく専門領域の手前ぐらいまで知りたい人.
・話題提供者(注:この日の講師です)のツイートを読んでいるけど,良くわからないので詳しく聞いてみたいことがある人.
はじめて放射線測定を行う方に向けた講習会は現地で何度も開かれていますので,それより少しレベルの高いものを考えています.しかし,専門知識を前提としたものではありませんので,計測に興味があればどなたでも参加いただけます
-----------------------------------------------------------
っていうので最初は非常に尻込みしたわけです。
ちんぷんかんぷんだったらどうしよう、
なんたって前日はライヴで3時まで飲んでたし!!
しかし、13時過ぎから始まった4人の講師によるお話は
予定の終了時間17時を軽く越えましたが、
すべてが興味深く眠くなることなく聞けました(たった一コマの
物理の時間をどうやってやり過ごそうかと思っていたわたしには快挙です)。
計測と測定の違い、なんて考えたことなかったな。
測定器ごとの違いは、低いエネルギーのガンマ線に反応しやすいかどうかということがあるらしいとか(HORIBA Radiのクセに納得)、
放射線の人体へのリスクの考え方のもとになってるもののお話とか、
モニタリングポストとリアルタイム線量計は
表示してるのものが違うのでそこんとこよろしく、
などなどなど、非常に興味深い内容。
放射線関係のことって「専門家でもないのに言うな」
とかいろいろいう人がいますけど、
もともと専門家でも各々が
超ピンポイントな分野のご自分の研究だけをしてたわけで、
今みたいにいろんな見地からの意見を
一般の人から訊かれるなんて思ってなかったと思う。
シンチレーションカウンターのクセから数値の考え方から
単位のことから原子炉の設計から食品に含まれる放射線から
がんリスクの考え方まで網羅してるなんて多分いなかった。
でも、だからこそTwitterとかネットで
これだけの錚々たる方々が繋がって情報を交換しながら
私たちにいろいろと教えてくれる、っていうこと、
すごいと思うのです。心から尊敬する。
半日でこんなてんこもりのお話が聞けて、
ほんとうに参加してよかった。
そして、その後の懇親会で、
翌日オプショナルツアーを考えている、
と主催のSさんが3つほど案を出してくださいました。
翌日は「ふれあい科学館」に行くことしか決めていなかったし
機会があったらいわきや相馬や富岡に行きたいと思っていたので、
すぐにいわき~富岡ツアーの参加表明。
その後、素敵なBarで安女の同級生と会って飲みました。
意外にも演劇の話に。
福島を取材して作られた演劇を地元の方々と見たらしいんですけど、
ちょっとかんべんして、って内容だった、と。
「がんばろう、言うな」との意見噴出、
「こんなの福島でやらないでくれ」って。
作家さんは何度も福島に来ていて取材したらしいんですけどね…
福島の人の心と遠い所で、福島をファンタジーにしちゃいかんよな。
福島で上演できないような「震災モノ」は作らないで欲しいよね、
という話で夜は更けゆくのでした。
次の花のために ― 2012/10/28
GCMふくしまレポートとUstのお知らせ ― 2012/08/07
夏日記2012/宇宙劇場サマーコンサート@郡山スペースパーク #2 ― 2012/07/29
夏日記2012/宇宙劇場サマーコンサート@郡山スペースパーク ― 2012/07/26
ついつい移動の時に書き込める
twitterばっかりになってしまった。
いかんいかん。
またこれからブログも書くぞ。
というわけで大変遅ればせながら郡山の日記からスタート!
7月6日〜7日
初めての鬼怒無月さんとzabadak3人のツアー、
ジープにパンパンに機材を積み込んで
郡山のプラネタリウムのコンサートへ。
当日は午前中は一般投影があり、
サウンドチェックできるのは
前日の一般投影後だけ、とのことで前乗りでゆっくりと出発。
車中では私のiPhoneに入ってる音楽を聴いていく。
レッド・ツェッペリン、クイーン、XTC…と懐かしモノばかり。
鬼怒さんと吉良君はギターの弦の話とかばかり。
私はそれを聴きつつ放射線関係のお勉強。
郡山では実家にちらっと寄ってから
一旦ホテルにチェックイン。
見事に大雨・・
スペースパークでは安藤さん始め、おなじみのスタッフが
暖かく迎えてくださる。
早速サウンドチェック。
サウンドシステムも一新したそうで、
これがまた並のホールなんかよりすごくよい音。
PA担当の方も本職かと思うくらい腕がいいのです。
今回は音楽主体ということで、星空もファンタスティックで
そしてぶっ飛んだ演出、
演奏してるからよく見られないのが残念・・
結構みっちりとサウンドチェックをやったら
もうすっかり深い時間。
スタッフのみなさんはそれからも
きっといろいろチェックをしていたんでしょうね。
ワレワレは居酒屋でちょっと食べてホテルへ。
翌朝はみんなばらばらに朝食を済ませる。
入り時間までホテルの部屋でゴロゴロ。
アコーディオンを練習したいので昼過ぎに控え室へ。
吉良君はもう到着していた。
差し入れの三万石のお菓子を食べつつ
(ひとり3個は食べましたね)
鬼怒さんと入念なる練習を重ねて、さて本番。
気持ちいい音で、気持ちいい空間で
そして郡山のみんなの前で演奏できて幸せだった。
来て下さった皆さん、ありがとう。
ここでやるのは3回目で、場所に慣れたのもあるけど
多分これまでで一番いい出来だったんじゃないかな。
鬼怒さんとの練習の成果もバッチリで
暗闇でドヤ顔したのはないしょです。
懐かしい友達にもたくさん会えて嬉しかったー。
そしてスペースパークのスタッフの皆さん
ありがとう。
鬼怒さんのお誕生日ということもあって、
サプライズの演出も素敵でした。
控え室には着替えの場所を作ってくださり、
会場の通路にも姿見を置くという細やかなお心遣い!
舞台監督もPAも顔負けですよー。
いやー、ライヴハウスでもなかなかないですよ、
こんなに素晴らしいところ!!
みなさまお疲れ様。
また行きたいな。
以下は、当日配布したパンフレットに載せた私の文章、
転載しておきます。
-------------------------------------
昨年の3月11日と、その後の原発の事故から
多くのことが変わってしまいました。
福島のことを考えない日は一日もありませんでした。
昨年5月、郡山の友人が私に言いました。
「また、音楽が聞きたくなる日が来ると思うけど、
今は無理だ。でもまたいつかきっと来て。
それまでになんとしても立ち直るから」と。
泣きながら言う彼の言葉にただ頷くだけでした。
多くのミュージシャンが福島に駆けつけて
コンサートをするのを目にしても、
私の心にはその言葉がずっと残っていました。
今までと同じように歌を歌い続ける、
そしてコンサートの売上から福島の復興のために寄付をする。
私にできることは、それだけだな、と思い、淡々と、黙々と、
そしてたくさんたくさんコンサートをしてきました。
そして今日、あれから初めて、
ふるさと郡山でコンサートをする機会をいただきました。
新しくなったプラネタリウムで歌うことが楽しみでなりません。
みんな、きっと、もう音楽を楽しめているね。
短い時間だけれど、ずっと昔から変わらない、
この美しい星空を一緒に旅しましょう。
最近のコメント