「とうほぐまづりオールスターズ」酒田ツアー2013/11/13

山形県酒田で、酒田の生んだ2大スター、白崎映美ちゃんと、
津軽三味線の岡田修さんのライヴとトークの公演がありました。
私も「とうほぐまづりオールスターズ」の一員として参加してきました。

10月31日、都内でリハーサルを23時までしてから
クルマ移動チームはそのまま機材を積み込み酒田へ。
運転のようくんは一度もハンドルをゆずらないツワモノでした。


写真手前のイイオトコはギターの伏見蛍くん。

夜が明けて日本海が見えてくるとテンション上がってきました!


日本海




まずは酒田の港の食堂で朝ごはん。
映美ちゃんは「しらさきさんですね?」
と食堂のおねえさんに声かけられたり、さすが酒田の誇るスターなのだった。
漬け丼うまし!しかしわたしには多すぎて蛍くんに助けてもらう。
ご飯分けてあげるとちょっとお母さん気分だぜ。
ベースの西やんが「漬け丼に温泉卵かけるとうまい!」と感動する前の記念すべき一枚。

別の車でやってきたブラスとパーカスのクンクンニコニコ共和国のみんなも
合流。



そこから ホテルで休息。
まずオフロに入ってそこから気持よく爆睡でした。
映美ちゃんはクンニコ共和国のみんなと
酒田の町を練り歩いたのですけど、参加断念。

さていよいよ希望という名のホールに向かう途中、
ホテルのご主人が酒田倉庫に連れて行ってくれました。
国立の、米の倉庫だったところだそうです。




取り壊しが決まったものの、大変なお金がかかるというので
そのままになっているらしいんですが
莫大な費用を、保存と「活かす」方向にもっていけないのかな。
廃墟マニアにはたまらない場所。


翌日は現役の山居倉庫に行ったのですが、
対をなす倉庫として遺してほしいなと思いました。

さていよいよホール入り。
使い勝手のいいホールですねー。
サウンドチェックでゆり子さん、まさかのマーシャル!!に
「これはないわあ」の図。


これだけにあと4人、プラスのメンバー。
あ、幼稚園児たちも出てくれたんです。
とうほぐまづりオールスターズ

本番前は美味しい芋煮や、つやひめというお米のおにぎり、
なしや柿やリンゴをたくさんいただきましたー!

本番前に記念写真、残念ながらクンニコの女性チームがいないけど
この人数! このコスチューム!
特に山伏さんと西馬音内から駆けつけてくれた
笛太鼓チームがカッコイイ!



本番は楽しかったねえ。客席の後ろの扉からの入退場、
1000人規模のホールがほぼ埋まっていてすごい熱気でした。
映美ちゃんのパワーすばらし。
山伏さんは法螺貝を吹くは、西馬音内の太鼓は響くはの豪華版。
幼稚園のみなさんもかわいかったあ。

打ち上げはお世話になったみなさんと。
おいしいお酒がいっぱい出てきました。
気分はまさにじょうきげん


その後、グランドキャバレー「白ばら」の見学に。
昭和の夢がそのまま残るステキパラダイス!



ここで撮影したい・・

翌日に続く!!

郡山〜いわき〜富岡 その22013/05/22

5月18日、朝9時に「郡山駅東口」で

勉強会のオプショナルツアー参加のみなさんと

待ち合わせしたのですが、

東口って行ったことがなくて、自由通路を見つけるのに苦労。

おまたせした皆さん申し訳ないです。

しかも「いわゆる駅前」からすっごい距離歩くのね。

甘く見てました。


さて、ここからいわきへ。

主催のSさんが手配してくださったレンタカーと

もう1台は筑波からいらしたIさんのクルマ、2台に分乗でゴー!


体温計よりちょっと大きいくらいの

積算線量計を貸していただいて携行します。


いわきまでの道すがら、山には藤が今を盛りと咲いていて、とてもきれい。

咲くとわかる、こんなに藤があるんだねえー。

ちょうど田植えをしている田んぼも。

父の田舎の塙に、車でよく帰ったことを思い出します。


山はいろんな緑が芽吹いていて、見ているだけで楽しい。

まずトイレ休憩を兼ねて「道の駅よつくら港」に寄りました。

ここはだいぶ整備されていましたが

それでも漁船の積まれた一画が。


よつくら港


私はここで地元のおばあちゃん手作りのお漬物を購入。

ほかにもおいしそうなものがたくさんありました。


久之浜の駅で地元の方と合流して海岸のほうへ。

久之浜は津波の上に火事もあり、大きな被害がでたのに

それほど報道には取り上げられなかったところ。


目の前が急に開けました。

家の土台だけが残されて、

ここに確かに生活があったという痕跡が。

たくさんのお花で飾られた場所もあります。


門の扉だけが残されていました。

ここにいくつもの「いってきます」と「おかえり」があったはず




毎年庭を飾っていたのでしょう、

アイリスが咲いています


久ノ浜

彼方に奇跡のように残った神社


久ノ浜



海辺にはハマエンドウが咲いていました


ハマエンドウ@久之浜


この場所に遺る、いのちの、くらしの痕跡が痛々しい



久之浜



そこから富岡を目指します。


どこにでもある田舎の風景だったのが

道の両脇に除染した土を入れた黒い大きな袋が目立ち始めます。


除染した土



「どうしてここの山は除染して隣はやらないんだろうねえ?」

「うーん。民家も近くにないし、どうしてだろう…」

「あ、ここは民家の近くだからかな」

「除染はどんな優先順位でしてるのかな?」

車内は疑問でいっぱいなのですが、

傍目にはその優先度がまだらにみえても、

除染作業は粛々と行われているようでした。

まだらといえば、持ち込んだ数台の放射線測定器を見ていても、

数値がちょっとの距離で高くなったり低くなったり。

事故の時の風向きとか地形などが影響しているのでしょうけれど

「はい、原発から何キロ圏内だからここからは高い!避難!」

とか、そういうことではないと実感します。



行く先にたくさんの警官の姿。

「この先帰還困難区域」の看板。

ここからは通行証がないと通れません。


富岡




富岡



計測器やカメラ片手に車から飛び出すワレワレは「職質」されました。

どこからきたのか、どんな「団体」か、どんな職業か。

職業に関してはこちらはすごいぞ。

O先生ったら某大学学長補佐だしな。

(その点ミュージシャンは弱い。)

某研究機関のIさんはひるまず逆に警視庁の人々を質問攻め。

そのおかげでいろいろとお話を伺えました。

警察官の線量計を見せてもらうなんていうのはIさんにしかできないな。


ここでの地表面近くの値。

地表1メートル地点でも5μSv以上…

富岡



これまで行ったどこよりも高線量。

緊張してしまう。



そこから富岡駅(だったところ)に向かいます。

道路沿いのたくさんの民家は地震のあとのまま




富岡




富岡はこの3月まで立ち入れなかった地域。


「ぜひ見ていって欲しい」と、ここも地元の方が

案内してくれました。


家も車も津波と地震にあった、そのままです



これは富岡駅

駅舎を津波が持って行ってしまった


富岡駅


富岡



そこから桜の名所へ。

でも桜並木の途中からは帰還困難区域。

ここから先には行けません






道路一本隔てれば帰還困難区域ということでフェンスで仕切られていますが、

ひょい、とまたげば入っていくことはできる。

じゃあなにを隔てているんだろう

空き巣 なんかの抑止力にはなるのか…


病院もガソリンスタンドも

東邦銀行もヨークベニマルもツルハドラッグも全部がただのハコです。


人が消えて放射線にさらされた街並みには愕然としてしまい、

写真を撮る気力も失くしました。

途中、乗り捨てられた車の多さにも驚きました。

生活を失くした人がそれだけいるということ…



さらに福島第二原発の塔の見える海沿いへ。

ここにも家がたくさんあったそうです。

木立の向こうが第二原発。






同じ福島、同じ日本の中。

目に見えるものも見えないものもぐっさりと心に突き刺さった

忘れられない本当に貴重な一日でした。

また時間があるときにゆっくり訪ねたいと思います。

そして、私にできることは何か

いつも考えていかなければと、改めて思いました。


お世話になった福島の皆さま、

同行の皆さま、企画してくださったSさん、

本当にお世話になりました。


この日の放射線積算値は3μSv

積算計



郡山〜いわき〜富岡 その12013/05/21

5月17日、郡山に行ってきました。

この日は福島市で内部被爆や食品に関する講演会があり、

最初はそれに出ようと思っていました。

しかしご一緒するはずの友人が参加できないことになって、

急遽変更。

それはTwitterで参加を募っていたた少々マニアックな

「放射線計測勉強会」というもの。

対象が

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・放射線計測の一通りの基礎知識はあって,もう少し詳しく専門領域の手前ぐらいまで知りたい人.

・話題提供者(注:この日の講師です)のツイートを読んでいるけど,良くわからないので詳しく聞いてみたいことがある人.


はじめて放射線測定を行う方に向けた講習会は現地で何度も開かれていますので,それより少しレベルの高いものを考えています.しかし,専門知識を前提としたものではありませんので,計測に興味があればどなたでも参加いただけます

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っていうので最初は非常に尻込みしたわけです。

ちんぷんかんぷんだったらどうしよう、

なんたって前日はライヴで3時まで飲んでたし!!


しかし、13時過ぎから始まった4人の講師によるお話は

予定の終了時間17時を軽く越えましたが、

すべてが興味深く眠くなることなく聞けました(たった一コマの

物理の時間をどうやってやり過ごそうかと思っていたわたしには快挙です)。

計測と測定の違い、なんて考えたことなかったな。

測定器ごとの違いは、低いエネルギーのガンマ線に反応しやすいかどうかということがあるらしいとか(HORIBA Radiのクセに納得)、

放射線の人体へのリスクの考え方のもとになってるもののお話とか、

モニタリングポストとリアルタイム線量計は

表示してるのものが違うのでそこんとこよろしく、

などなどなど、非常に興味深い内容。


放射線関係のことって「専門家でもないのに言うな」

とかいろいろいう人がいますけど、

もともと専門家でも各々が

超ピンポイントな分野のご自分の研究だけをしてたわけで、

今みたいにいろんな見地からの意見を

一般の人から訊かれるなんて思ってなかったと思う。

シンチレーションカウンターのクセから数値の考え方から

単位のことから原子炉の設計から食品に含まれる放射線から

がんリスクの考え方まで網羅してるなんて多分いなかった。

でも、だからこそTwitterとかネットで

これだけの錚々たる方々が繋がって情報を交換しながら

私たちにいろいろと教えてくれる、っていうこと、

すごいと思うのです。心から尊敬する。


半日でこんなてんこもりのお話が聞けて、

ほんとうに参加してよかった。


そして、その後の懇親会で、

翌日オプショナルツアーを考えている、

と主催のSさんが3つほど案を出してくださいました。

翌日は「ふれあい科学館」に行くことしか決めていなかったし

機会があったらいわきや相馬や富岡に行きたいと思っていたので、

すぐにいわき~富岡ツアーの参加表明。


その後、素敵なBarで安女の同級生と会って飲みました。

意外にも演劇の話に。

福島を取材して作られた演劇を地元の方々と見たらしいんですけど、

ちょっとかんべんして、って内容だった、と。

「がんばろう、言うな」との意見噴出、

「こんなの福島でやらないでくれ」って。

作家さんは何度も福島に来ていて取材したらしいんですけどね

福島の人の心と遠い所で、福島をファンタジーにしちゃいかんよな。

福島で上演できないような「震災モノ」は作らないで欲しいよね、

という話で夜は更けゆくのでした。



次の花のために2012/10/28

紫陽花
郡山に帰りました

震災以来家に帰っていない母を連れての旅

ほんの短い間でしたが
家族で、しあわせに過ごした家に集合しました

どこの空間にも
いろいろな時間の家族や私の記憶

庭には紫陽花が花をつけたままでした

毎年花が終わると父が剪定してたのに
今年はつけたまま

なのでバッタバッタと花がらを剪定しまくりました

来年またたくさんの花を咲かせるように

しばしば帰ってちょっとずつきれいにして
またあったかい家にしたいなと
思ったしだい

GCMふくしまレポートとUstのお知らせ2012/08/07



「ガイガーカウンターミーティング(GCM)ふくしま」が福島と郡山で
7月15,16日に開催され、私も縁あって参加させていただきました。

原発事故以降、個人でガイガーカウンターを持つようになる方が増えたけれど、測定の仕方が自己流だったりして正しい値を得られない事が多いのに業を煮やした(?)科学者の方々が、正しい測定法を学ぶ機会は作れないものかとtwitter上で呟いたことがきっかけで、
「ガイガーカウンター・ミーティング」が開かれたのが昨年6月でした。
これはその時に参加された鈴木みそさんが描かれたもの


被災地での開催は初めてです。

この会全体は5時間半にもおよび、
1部は東大の教授でホールボディーカウンターでの内部被曝の測定を精力的にされている早野龍五先生の講演、2部は高エネルギー加速器研究機構(KEK) 素粒子原子核研究所教授の野尻美保子先生講演、3部は農水省の原田英男さんと早野先生、野尻先生と生産者の皆さんとのディスカッション、4部は大阪大学の菊池誠先生、三重大教授の奥村晴彦先生、SF作家の野尻抱介さん、
漫画家鈴木みそさんとしりあがり寿さん、この会の世話役でもあるメディアアーティストの八谷和彦さんと私と、地元の方々の交流会、そして高エネルギー加速器研究機構(KEK)の一宮亮さんらによる ガイガーカウンターの測定ワークショップという盛りだくさんの内容。

GCM flyer


15日、昼過ぎに福島駅前のホテルのロビーで待ち合わせ。
おおっと!twitterでは黒猫のアイコンの野尻美保子先生が鈴木みそさんが書かれたのと生き写し(?)のお姿で登場!
そして八谷さんが自ら運転してくださって、菊池誠先生と4人で会場へ。
八谷さんは「PostPet」の開発者にして現在ナウシカのメーヴェのような一人乗り飛行機を製作しているという、夢を実現できるチカラのあるお方。この方の情熱なくしてGCMはなかったでしょう。
菊池先生は私の以前のブログでも書きましたが物理学者にしてテルミン奏者で翻訳家でもあります。

車中では野尻先生と八谷さん、菊池先生は
「だいぶ下がったねー」
と福島の線量の話。
私はあまり福島市の郊外には来たことがなかったのでキョロキョロ。


会場は、駅からちょっと離れたところにある「福島県青少年会館」。

会場に着きますといきなり鈴木みそさんにお会いしました。茶髪に白いフレームのメガネがおしゃれです。
そしてたくさんのボランティアのみなさん。
そうです、これはまったくのボランティアで運営されていますが今回は八谷さんがネットで寄付をよびかけました。会場費やその他運営にはどうしてもお金がかかるからです。その募金は驚いたことに4時間で目標額達成、余剰金は早野先生の研究費にあてるとのことでその後も寄付は増え続けました。
福島のためにこんなにもたくさんの方が心を砕いてくださっていることが本当にうれしいです…

八谷さんが会場をざざっと案内してくださってまずは早野先生らの講演会場となるホールへ。
菊池先生と入場するとワレワレにざざっとカメラが向けられてビビリました。
みなさんカメラを手にされていて、ラフなムードです。
なんと早野先生が短パンという軽装であらせられる。
私はこの時はまだビビっていてカメラを出せませんでした…


八谷さんによる全体の説明の後、ワレワレの交流会が開かれる会場のマイクチェックなど。
三重大学の奥村先生は長身でスリム(そしてお茶目なことがのちに判明しましたが)とても気さくでびっくり。一緒に会場作りで机を運んだりしました。

その後地元の美味しいものを用意してくださっているお隣の建物でトマトやブルーベリーやおいしいパンをいただきました。
そして寄付いただいた方へお礼に送るみそ先生の本にみんなでサインしたりしてあっという間に本番間近。
あ、マネージャーR嬢がしりあがり寿さんの大ファンなので、サインをいただいちゃった。
おっと始まる前に記念写真。
左から鈴木みそさん、しりあがり寿さん、私、菊池誠先生、八谷和彦さん



第1部と第2部は、私達の第4部をやる部屋に送られたモニターで見ました。
早野先生の話、もっとみんなに聴いて欲しい。先生の人柄がわかるような、誠実な話しぶり。
野尻先生のお話も思わずメモとっちゃいました。
というわけでこの内容は9日にUst配信します。
お知らせは後ほど。

残念ですが第3部は私達と時間がかぶってて見られませんでしたがこれも10日にUstで見るのだ!お知らせは後ほど。

そして4部。
こちらがわの参加者の自己紹介のあと、八谷さんが和ませるために菊池先生のリンスネタなどを振り(和んだかは不明)、地元の方からの質問に答えます。
私もミュージシャンとして今感じている状況について話したり。
参加者からは、なかなか報道には乗らない生の声が聞けました。
「東京でデモに参加しているひとは私からは幸せそうに見える」
「私は御用被災者って呼ばれてるんですけど」
という言葉にどきっ、中には確かに報道されないであろう驚くようなことも…

福島だけではなく県外からの参加者もいらっしゃいました。
それぞれの地域でのそれぞれの問題。
一絡げにできないぞ、というのをヒシヒシと感じます。
活発な発言が尽きませんでしたが時間となり、私の「やま」という詩の朗読でこの会を終えました。

「やま」を書いたのは昨年郡山に帰った時です。
私の父は山育ちで、よく「雑木林に吹く風の音が好きだ」と言っていました。
福島の状況に絶望したまま父は昨年10月に亡くなりました。
福島にまた住めるよ、そう言ってあげたかったけれど
あの頃はまだ被害が拡大するのでは、という不安のなかで言えない状況でした。
「大丈夫、また住めるよ」って言ってあげればよかった、というのがずっと心残りです。

父のいない家のいろんな手続きのために郡山に帰ったものの
実家は震災でとても住めるような状況ではなかったので、駅前のホテルに泊まりました。
朝、窓から朝日に雪をオレンジに染めた山が見えました。
それは家から駅に向かうとき、父が駅に送ってくれる車中からも必ず目にしていた山でした。
地震も原発事故もなんにもなかったみたいに美しく、そこにありました。
そのまま一気に書いた詩が「やま」です。

この詩を、福島の皆さんの前で朗読する機会を作ってくれた菊池先生、八谷さんに大感謝です。


終了後は福島名物「円盤餃子」をいただきつつなぜか多数の方がネコミミ装着などしてなごやかに一日目終了。
写真は左から野尻抱介さん、奥村先生、私

ミミ、でかい。



16日

この日はまず、菊池先生と郡山に向かいました。
駅には私の古い友人、河治くんが迎えに来てくれています。
昨年、彼からシンチレーションカウンターをお借りして私の実家の敷地と建物内の放射線量を測定したのですが、今回も同じカウンターで測ろうというわけです。

この日は暑くて、家に着いたら汗だく。
河治くんは飲み物まで買ってきてくれてさんきゅー。
早速家の中と庭、計27箇所を30秒間隔で4~5回ずつ測定していくんですけど、あっついし、結構これ、大変、で休みなしにぶっ通しで二時間ちょっとかかりました。



河治くんが腹ペコの我々を焼肉屋に連れてってくれて和牛を堪能、そのまま会場である「ミューカルがくと館」に送ってくれました。

和牛を食べる菊池先生の図




「ミューカルがくと館」 に着いたら早速先ほど測定した数値の平均を出して、昨日から展示していたワタクシ作成の住宅の放射線量のポスターに新たな数字を書き込んで行きます。
そう、ここではいろいろな方による放射線関係のポスター展示もあるのです。



菊池先生はご自分でシンチレーションカウンターを持ってきていて、河治くんから借りたのと同時に測ってたんですけど、どこを測っても先生のカウンターのほうが数値が低い。二割くらい違う感じ。
それで、放射線計測ワークショップに参加してみることに。

ここではいろいろな状況での値を実際に知ったり、正しい測定法を学ぶことができ、そしてカウンターの「校正」ができるのです。
カウンターによって高めに出たり低めにでたりするので、ここで自分のカウンターが実際よりどれだけのもんなのか?を知ることが出来るというわけです。




しりあがり寿さんと菊池先生と私、参加。




結果、私が借りた河治くんのは実際よりちょい高め、菊池先生のは18%くらい低めに出ると判明。
しかし物理系の学者さんたちはあっという間にデータをグラフにしていくので驚きっす。

そして会場に戻ると尻PことSF作家の野尻抱介さんが
「私が発見したホットスポットがあるんですよー」
と誘うのでした。
野尻さんは、原発事故前からガイガーカウンターを持っていて、とにかく線量の高いところが測りたくてしょうがなかったそうで、それで事故後福島に通ううちに福島が大好きになってしまった、という方です。
がくと館の草むらをワシワシと歩いて行くと足元に雑草を結んだところが。20世紀少年みたい。
「ここです」と野尻さんがいうのでカウンターを近づけるとこれ。



地表近くは4μSv/h近くありました。
なんででしょうねえ。
ってか、なんでこういうところ見つけたんだろう、野尻さん。
この写真は測定してるところ。牧歌的だけど足元高線量っす・・

                         撮影:野尻抱介

この日の第四部で印象的だったのは
「事故以来たくさんの架空の福島県人がデマによってたくさん殺された」
といった発言。
ネットのなかのデマの虚しさは実際暮らしてる身にはことさらだろうと思うのです。
「誰かがこう言ってる」ってことで無責任に軽々と広まっていくデマに、私もいつも胸が塞がる・・。
放射線関係のことは、福島では新聞でもテレビでも、東京よりはるかに多い情報が出ています。
福島県人は情報を隠蔽された中で暮らしてるという、いつのかわからない情報を信じ込んでいる人もいるみたいだけど、それは大間違い。
郡山では町内会に1個はガイガーカウンターがあるのですよ。
計測ワークショップには
「お父さんにウチの(ガイガーカウンター)が合ってっかどうかたしかめでこいっていわれて」
と、おばさまが二台のカウンターの校正のために参加してた。
意識高いです。



忙しい中ボランティアで参加している講師陣のみなさんの福島に対する思いもヒシヒシと伝わってきました。
ふぐすまのおんなとして、心から感謝します。
ボランティアのスタッフさんもお疲れ様でした。
大変実りのある会だったと思います。
なにより、終わってからみーんなうれしそうな顔をしてましたから。

この様子をUstで配信することが決まりました。
当日参加した講師陣もできるだけ参加するというイベントです。
ぜひ御覧ください、お近くの方は3331にお出かけください。
私は連日参加します。

場所:3331アーツ千代田
日時:2012年 8月9日、10日 開場17:30 開演18:00  (21:00終了)
  *9日は投げ銭制、10日は席料おまけつき1,000円予定
    ただし、READYFOR?でご支援いただいたかたは無料です。
     詳しくはこちらをクリック


長らく読んでくださったかたにここで問題です。
私が衝撃を受けた奥村先生のお茶目なお姿とはどんなだったでしょうか

答えは









ネコミミでしたー!

夏日記2012/宇宙劇場サマーコンサート@郡山スペースパーク #22012/07/29

zabadak+鬼怒無月@スペースパーク
郡山スペースパークの安藤さんから
画像が届きました!
前々回のブログとあわせてどうぞ!

夏日記2012/宇宙劇場サマーコンサート@郡山スペースパーク2012/07/26

郡山ビッグアイから
7月は忙しくてゆっくりブログを書く時間がなくて
ついつい移動の時に書き込める
twitterばっかりになってしまった。
いかんいかん。
またこれからブログも書くぞ。

というわけで大変遅ればせながら郡山の日記からスタート!


7月6日〜7日

初めての鬼怒無月さんとzabadak3人のツアー、
ジープにパンパンに機材を積み込んで
郡山のプラネタリウムのコンサートへ。
当日は午前中は一般投影があり、
サウンドチェックできるのは
前日の一般投影後だけ、とのことで前乗りでゆっくりと出発。

車中では私のiPhoneに入ってる音楽を聴いていく。
レッド・ツェッペリン、クイーン、XTC…と懐かしモノばかり。
鬼怒さんと吉良君はギターの弦の話とかばかり。
私はそれを聴きつつ放射線関係のお勉強。

郡山では実家にちらっと寄ってから
一旦ホテルにチェックイン。
見事に大雨・・

スペースパークでは安藤さん始め、おなじみのスタッフが
暖かく迎えてくださる。
早速サウンドチェック。
サウンドシステムも一新したそうで、
これがまた並のホールなんかよりすごくよい音。
PA担当の方も本職かと思うくらい腕がいいのです。

今回は音楽主体ということで、星空もファンタスティックで
そしてぶっ飛んだ演出、
演奏してるからよく見られないのが残念・・

結構みっちりとサウンドチェックをやったら
もうすっかり深い時間。
スタッフのみなさんはそれからも
きっといろいろチェックをしていたんでしょうね。
ワレワレは居酒屋でちょっと食べてホテルへ。

翌朝はみんなばらばらに朝食を済ませる。
入り時間までホテルの部屋でゴロゴロ。

アコーディオンを練習したいので昼過ぎに控え室へ。
吉良君はもう到着していた。
差し入れの三万石のお菓子を食べつつ
(ひとり3個は食べましたね)
鬼怒さんと入念なる練習を重ねて、さて本番。

気持ちいい音で、気持ちいい空間で
そして郡山のみんなの前で演奏できて幸せだった。
来て下さった皆さん、ありがとう。
ここでやるのは3回目で、場所に慣れたのもあるけど
多分これまでで一番いい出来だったんじゃないかな。
鬼怒さんとの練習の成果もバッチリで
暗闇でドヤ顔したのはないしょです。
懐かしい友達にもたくさん会えて嬉しかったー。

そしてスペースパークのスタッフの皆さん
ありがとう。
鬼怒さんのお誕生日ということもあって、
サプライズの演出も素敵でした。
控え室には着替えの場所を作ってくださり、
会場の通路にも姿見を置くという細やかなお心遣い!
舞台監督もPAも顔負けですよー。
いやー、ライヴハウスでもなかなかないですよ、
こんなに素晴らしいところ!!
みなさまお疲れ様。
また行きたいな。

以下は、当日配布したパンフレットに載せた私の文章、
転載しておきます。

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昨年の3月11日と、その後の原発の事故から
多くのことが変わってしまいました。
福島のことを考えない日は一日もありませんでした。
昨年5月、郡山の友人が私に言いました。
「また、音楽が聞きたくなる日が来ると思うけど、
今は無理だ。でもまたいつかきっと来て。
それまでになんとしても立ち直るから」と。
泣きながら言う彼の言葉にただ頷くだけでした。

多くのミュージシャンが福島に駆けつけて
コンサートをするのを目にしても、
私の心にはその言葉がずっと残っていました。
今までと同じように歌を歌い続ける、
そしてコンサートの売上から福島の復興のために寄付をする。
私にできることは、それだけだな、と思い、淡々と、黙々と、
そしてたくさんたくさんコンサートをしてきました。

そして今日、あれから初めて、
ふるさと郡山でコンサートをする機会をいただきました。
新しくなったプラネタリウムで歌うことが楽しみでなりません。
みんな、きっと、もう音楽を楽しめているね。
短い時間だけれど、ずっと昔から変わらない、
この美しい星空を一緒に旅しましょう。

修善寺2012/06/27

@修善寺
学生時代の友人と伊豆にいってきました

中伊豆ワイナリーではランチにスパーリングワイン飲み放題
ワレワレは軽く3本は空けたでしょうか

なぜこんなドラマチック?
というような友人たちの話
旅はいきなりの爆裂トーク・・


写真は修善寺温泉