相馬二遍返しによせて ― 2015/07/01
これまでもブログなどで書いてきたことですが、zabadakで演奏している福島の相馬民謡「相馬二遍返し」についてのあれこれを書き留めておきます。
わたしは、福島県に生まれ、原発問題は遠いものではありませんでした。80~90年代には反原発運動の集会などに何度か足を運んだのですが、それは私が考えていたようなものとはちょっと違っていました。反原発運動なのに「三里塚」のノボリなども見られました(時代感…)。いわゆる「市民運動家」みたいな方のもとで、大勢でハチマキをして一丸となって拳をあげるのには結局馴染めず、すごすごと帰ることになるのでした。でも、核廃棄物処理の問題が解決しないまま原発を作ってもいいのかな、という疑問は消えませんでした。色々考えるうちに、当時の私は、音楽のなかでその気持を表現していくことにしようと思ったのでした。私に出来るのは「運動」じゃなくて「音楽」だから。Twitterなどで個人的な発信ができる現在とは事情が違っていました。
karakというバンドで1991年にデビューしたのですが、1stアルバムのテーマは「核戦争後の世界」でした。「自然にあるものだけで満ち足りる素晴らしさを歌いたい」と、インタヴューやパンフなどで折に触れて言い続けてきました。自然の美しさを知るほど、失う怖さも知るはず、との思いでした。zabadakに詩を書くときも、それは変わりませんでした。デビュー前には、いろいろなレコード会社のディレクターから「自然現象なんて歌ってどうするの」「主語がない」「ユーミンみたいなラブソングをかけ」等、散々言われましたが、私の姿勢を理解してくれるディレクター石黒さんと、好きなように歌詩を書かせてくれるzabadakに出会えたのは幸せでした。(その後は「小峰さんのあの『おっきい系』で書いてください」とオーダーがくるようになりました。)
東日本大震災翌年に演劇とコラボした舞台「ココニオイデ」では、福島の方言だけで詩を作り、朗読しました。「自然にあるものだけで満ち足りる素晴らしさを歌いたい」という気持ちは、震災後も変わることはありませんでした。
どこからだって やまがみえでだがら
やまに なまえがあるって わがんねがった
うぢからみえでた あのやまは
なんちゅう やまだったんだべ
で始まる「やま」、そしてわたしの子供時代、お盆に、東白川郡塙にある父の実家にお墓参りに行った日の思い出を詠んだ「夏の日」という作品、阿武隈、安積、磐梯、などの「難読地名」を音で遊ぶ作品などを作りました。悲惨な様子や問題提起など一切なしに、美しい風景だけを描きました。(この詩がきっかけで、のちのガイガーカウンター・ミーティングに参加することになったのも、不思議な縁です)
その後、柳家小春さんと高円寺の不思議CDショップ、円盤でご一緒する機会がありました。小春さんはとっても魅力的な声で端唄を主に歌っている、すてきな方です。私が福島出身ということで「福島民踊を歌いましょう」と、「相馬二遍返し」を小春さんが歌った音源を送ってくださいました。改めて聴いて(ちゃんとは歌えなかったけど、お囃子などは知っていました)そのメロディと、歌詩に心が震えました。
この相馬二遍返しも、美しい風景だけを歌っています。争い事の種になる境界に桜を植えている相馬の人たちの心意気を、その情景で詠みこみ、野馬追いの楽しさ勇壮さ、その祭りの充足感を「ほどのよさ」という言葉に込めていること、すべてがわたしのこれまでの詩作と、福島との関わり方に共通していて私にはこれこそ「復興の歌」だと思えました。
しかも、このうたが出来たきっかけを調べると、驚くことがたくさんありました。18世紀末の天明の大飢饉の折、相馬の人口は2/3に減ってしまいました。立て直すために、引っ越してきてもらおうと、「こんなに相馬っていいところだよ」と、この歌をPRソングとして歌ったのだそうです。当時藩を移ることは禁じられていておおっぴらには宣伝できなかったため、主にお坊さんたちが中心になって新潟や富山方面に拡めたのだそうです。年貢の軽減や、住居の提供などの対策もして移住は進み、やがて石高は飢饉の前の1.5倍にまで増えたとのこと…。
これは今こそ歌わなければ、という気持ちがより強くなりました。
小春さんと最初に歌った時はかなりシンプルに三味線とギターで演奏しましたが、彼女が紹介してくれたurlのなかに中村力哉さんという方がすてきなコードを付けたピアノの「相馬二遍返し」の動画がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=p6H0qKweDIk
コードを持たない民謡に新たな拡がりを加える、素晴らしいアレンジです。しかも、とかくこういった和ものは、お手軽で安易なアレンジが氾濫している中、高い力量とメロディに対するリスペクトが一聴して解ります。吉良知彦はいっぺんでこのコードをすっかり憶えてしまったそうです。私達のようなロック畑のミュージシャンには、民謡はとっかかりのないものに思えてしまうのですが、この作品との出会いで、民謡をまったく新しいものとして演奏する扉が開かれました。
先日、中村力哉さんにお会いすることができました。どうしてもっと早く連絡を取らなかったのかと、自分の怠慢を恥じました。中村さんは「一粒のちから」という、被災地の民踊をアレンジする取り組みをされていることを知りました。被災地に対する思いが強く伝わり、軽い気持ちで「歌って応援」のようなことではない、誠実な意志を強く感じ、感銘を受けました。ぜひこちらもお聴きください。
中村力哉さんのブログ
http://rikiyapiano.cocolog-nifty.com
一粒のちから:ピアノで織りなす東北民謡
https://www.youtube.com/playlist?list=PL4E1D9AFF41848737
zabadakで演奏するにあたって、これは天明の大飢饉のあとの「移民の歌」だからレッド・ツェッペリンの「移民の歌」テイストを入れたいと言い出したのは私で、最初はモロそんな感じで演奏していましたが、「ここが奈落なら、きみは天使」に収録したアレンジはまた違っています。レッド・ツェッペリン風味は変わらずですが、ベースラインもギターも「プログレナイト2014」収録の音源よりもさらにハードになっています。篠笛は星衛さんにお願いしました。歌は、古くからの友人である民謡歌手の木津かおりさんにご指導いただき、それをまた私風にして歌っています。
zabadakは過去にも上野洋子ちゃんが「椎葉の春節」をアイリッシュ風にアレンジして、それをしかもシングル盤でリリースしていますが、それに続き二回目の日本民謡への挑戦です。ぜひ多くのみなさんに聴いていただけますことを祈っています。
*写真は伊達と相馬の境の桜を昨年訪れた際のもの。桜は新たに植えられたものだそうです。
わたしは、福島県に生まれ、原発問題は遠いものではありませんでした。80~90年代には反原発運動の集会などに何度か足を運んだのですが、それは私が考えていたようなものとはちょっと違っていました。反原発運動なのに「三里塚」のノボリなども見られました(時代感…)。いわゆる「市民運動家」みたいな方のもとで、大勢でハチマキをして一丸となって拳をあげるのには結局馴染めず、すごすごと帰ることになるのでした。でも、核廃棄物処理の問題が解決しないまま原発を作ってもいいのかな、という疑問は消えませんでした。色々考えるうちに、当時の私は、音楽のなかでその気持を表現していくことにしようと思ったのでした。私に出来るのは「運動」じゃなくて「音楽」だから。Twitterなどで個人的な発信ができる現在とは事情が違っていました。
karakというバンドで1991年にデビューしたのですが、1stアルバムのテーマは「核戦争後の世界」でした。「自然にあるものだけで満ち足りる素晴らしさを歌いたい」と、インタヴューやパンフなどで折に触れて言い続けてきました。自然の美しさを知るほど、失う怖さも知るはず、との思いでした。zabadakに詩を書くときも、それは変わりませんでした。デビュー前には、いろいろなレコード会社のディレクターから「自然現象なんて歌ってどうするの」「主語がない」「ユーミンみたいなラブソングをかけ」等、散々言われましたが、私の姿勢を理解してくれるディレクター石黒さんと、好きなように歌詩を書かせてくれるzabadakに出会えたのは幸せでした。(その後は「小峰さんのあの『おっきい系』で書いてください」とオーダーがくるようになりました。)
東日本大震災翌年に演劇とコラボした舞台「ココニオイデ」では、福島の方言だけで詩を作り、朗読しました。「自然にあるものだけで満ち足りる素晴らしさを歌いたい」という気持ちは、震災後も変わることはありませんでした。
どこからだって やまがみえでだがら
やまに なまえがあるって わがんねがった
うぢからみえでた あのやまは
なんちゅう やまだったんだべ
で始まる「やま」、そしてわたしの子供時代、お盆に、東白川郡塙にある父の実家にお墓参りに行った日の思い出を詠んだ「夏の日」という作品、阿武隈、安積、磐梯、などの「難読地名」を音で遊ぶ作品などを作りました。悲惨な様子や問題提起など一切なしに、美しい風景だけを描きました。(この詩がきっかけで、のちのガイガーカウンター・ミーティングに参加することになったのも、不思議な縁です)
その後、柳家小春さんと高円寺の不思議CDショップ、円盤でご一緒する機会がありました。小春さんはとっても魅力的な声で端唄を主に歌っている、すてきな方です。私が福島出身ということで「福島民踊を歌いましょう」と、「相馬二遍返し」を小春さんが歌った音源を送ってくださいました。改めて聴いて(ちゃんとは歌えなかったけど、お囃子などは知っていました)そのメロディと、歌詩に心が震えました。
この相馬二遍返しも、美しい風景だけを歌っています。争い事の種になる境界に桜を植えている相馬の人たちの心意気を、その情景で詠みこみ、野馬追いの楽しさ勇壮さ、その祭りの充足感を「ほどのよさ」という言葉に込めていること、すべてがわたしのこれまでの詩作と、福島との関わり方に共通していて私にはこれこそ「復興の歌」だと思えました。
しかも、このうたが出来たきっかけを調べると、驚くことがたくさんありました。18世紀末の天明の大飢饉の折、相馬の人口は2/3に減ってしまいました。立て直すために、引っ越してきてもらおうと、「こんなに相馬っていいところだよ」と、この歌をPRソングとして歌ったのだそうです。当時藩を移ることは禁じられていておおっぴらには宣伝できなかったため、主にお坊さんたちが中心になって新潟や富山方面に拡めたのだそうです。年貢の軽減や、住居の提供などの対策もして移住は進み、やがて石高は飢饉の前の1.5倍にまで増えたとのこと…。
これは今こそ歌わなければ、という気持ちがより強くなりました。
小春さんと最初に歌った時はかなりシンプルに三味線とギターで演奏しましたが、彼女が紹介してくれたurlのなかに中村力哉さんという方がすてきなコードを付けたピアノの「相馬二遍返し」の動画がありました。
https://www.youtube.com/watch?v=p6H0qKweDIk
コードを持たない民謡に新たな拡がりを加える、素晴らしいアレンジです。しかも、とかくこういった和ものは、お手軽で安易なアレンジが氾濫している中、高い力量とメロディに対するリスペクトが一聴して解ります。吉良知彦はいっぺんでこのコードをすっかり憶えてしまったそうです。私達のようなロック畑のミュージシャンには、民謡はとっかかりのないものに思えてしまうのですが、この作品との出会いで、民謡をまったく新しいものとして演奏する扉が開かれました。
先日、中村力哉さんにお会いすることができました。どうしてもっと早く連絡を取らなかったのかと、自分の怠慢を恥じました。中村さんは「一粒のちから」という、被災地の民踊をアレンジする取り組みをされていることを知りました。被災地に対する思いが強く伝わり、軽い気持ちで「歌って応援」のようなことではない、誠実な意志を強く感じ、感銘を受けました。ぜひこちらもお聴きください。
中村力哉さんのブログ
http://rikiyapiano.cocolog-nifty.com
一粒のちから:ピアノで織りなす東北民謡
https://www.youtube.com/playlist?list=PL4E1D9AFF41848737
zabadakで演奏するにあたって、これは天明の大飢饉のあとの「移民の歌」だからレッド・ツェッペリンの「移民の歌」テイストを入れたいと言い出したのは私で、最初はモロそんな感じで演奏していましたが、「ここが奈落なら、きみは天使」に収録したアレンジはまた違っています。レッド・ツェッペリン風味は変わらずですが、ベースラインもギターも「プログレナイト2014」収録の音源よりもさらにハードになっています。篠笛は星衛さんにお願いしました。歌は、古くからの友人である民謡歌手の木津かおりさんにご指導いただき、それをまた私風にして歌っています。
zabadakは過去にも上野洋子ちゃんが「椎葉の春節」をアイリッシュ風にアレンジして、それをしかもシングル盤でリリースしていますが、それに続き二回目の日本民謡への挑戦です。ぜひ多くのみなさんに聴いていただけますことを祈っています。
*写真は伊達と相馬の境の桜を昨年訪れた際のもの。桜は新たに植えられたものだそうです。
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