出版から一年経ちました2015/03/16

昨日で「いちから聞きたい放射線のほんとう いま知っておきたい22の話」を出版して1年になりました。

福島や放射線のことを扱う作品を作るには相当の覚悟が要ります。
匿名でRTとか批判(批判ならまだいいかな)をするのとはわけが違います。
本ではしれっと質問していますが、放射線やリスク学の専門家の講演会や勉強会に通い、私なりにたくさん勉強しました。
いわゆる「風当たり」もとても考えました。しかし、放射線のわかりやすい本がなかった頃ですし、今やらなくちゃいけないことなんじゃないかという思いは一層強くなり、覚悟を決めて取りかかりました。

結果、よく「(ネットで)変なのに絡まれない?」と訊かれたりしましたが、そういう嫌な思いはしませんでした。いろいろな方に出会えて、いいことが多かったかな。読んでいただければわかると思いますが、一般的な考え方はこうですよ、ということしか書いてないので菊池さんのワイルドな舌鋒を期待(?)した方は「ええええ、こういう本になったの?」っていうびっくりの仕方だったみたいですね。
オピニオン本にはしたくなかったし、私的な話はまえがきと、最後の章の私の文章にとどめました。

最近「ふくしまからきた子 そつぎょう」という絵本が出版されました。
その絵本作家、松本春野さんの「3.8 NO NUKES DAY 反原発統一行動」でのスピーチを読みました。
http://www.harunomatsumoto.com/blog/2015/03/38-no-nukes-day.html

その後の彼女のツイートなどを読み、一年前の覚悟が蘇ってきました。
と思っていたら、今日、松本さんが私達の本をツイートでオススメしてくださっていました。
嬉しい事です。

共著者で松本春野さんのお父さま・松本猛さんのブログも拝見しました。

「『福島』と一言で括ることの怖さを、福島に通うなかで何回も感じました」
http://urx.nu/irQT

福島に何度も通った方ならではの視点です。
松本さんの書かれている通り、津波と地震の被害で被害を受けた方がたくさんらっしゃいます。
「運動」に目を向ける方々は、時としてこの災害の復興からなにかを奪ってはいないでしょうか。
「忘れるな」「風化させてはいけない」という言葉も、使われ方によっては、私には痛みと恐ろしさを突きつける言葉、癒えない傷を負わせ続ける言葉だと思えることが度々あるのです。


追記
*わたしは80~90年代あたまくらいに反原発運動にすこし参加していましたが、そのこともあって、自分にできる表現はなにか、を探してきたことを以前ここに書いております。
http://koko.asablo.jp/blog/2012/01/09/6284755
こういう経緯があって、今回の「実際の事故」には市民運動ではなく、科学的なことに目が向いたのかもしれません。
あの時とは別の創作のかたちへ。

「本職」のzabadakの新しいアルバムもいままさにレコーディング中!です。