父のこと 2 ― 2013/09/25

彼岸花が盛りのころに父が終末医療の病院(苦しみを和らげることはするけど治すための医療行為はしない)に入院した。
自転車や電車で毎日通った。
病室にはあれこれと好物を買っていったり、
好きなかぼちゃの煮物を作っていったり、
でもほとんど昼ご飯のあいだの
短い時間しかいてあげられなかった。
その秋はコドモが受験で、糖尿病の母の介護もしていた。
危険な状態が続いたある晩、医師は
「もうがんばってこられました、
今夜が最後だと思います。お疲れ様でした。」
と挨拶をして帰っていった。
家族を全員が、みんなで病院に泊まった。
父は目を見開き続け、翌朝までがんばった。
目をつぶったらもう起きられない、とわかっているようだった。
朝、電話でコドモの声をきかせると、
びっくりするくらい大きな声をだした。
話しかけているつもりだったらしいが、
言葉にはなっていなかった。
コドモには学校休んできなさい、と言ったが、
部活で佳境だし、休めない、と。
目を見開き続けている父はまさに「鬼気迫る」様子だった。
「郡山の、紫陽花を世田谷のうちの庭に植えようね」
というと、大きくまばたきをした。
夕方、部活を切り上げたコドモを吉良君が連れてきて、
病室に家族全員がそろうと安心したように息を引き取った。
大きく大きく吸った、最後の息はどこにいったんだろう。
いろいろな表情をして、
そして最後はほっとしたような顔になった。
二年前のこと。
最近また父の夢をよく見る。金木犀が咲いている頃だった。
郡山の紫陽花を、なんとかして植えなくちゃ。
父との約束のために。
父のこと
http://koko.asablo.jp/blog/2011/10/25/6169791
自転車や電車で毎日通った。
病室にはあれこれと好物を買っていったり、
好きなかぼちゃの煮物を作っていったり、
でもほとんど昼ご飯のあいだの
短い時間しかいてあげられなかった。
その秋はコドモが受験で、糖尿病の母の介護もしていた。
危険な状態が続いたある晩、医師は
「もうがんばってこられました、
今夜が最後だと思います。お疲れ様でした。」
と挨拶をして帰っていった。
家族を全員が、みんなで病院に泊まった。
父は目を見開き続け、翌朝までがんばった。
目をつぶったらもう起きられない、とわかっているようだった。
朝、電話でコドモの声をきかせると、
びっくりするくらい大きな声をだした。
話しかけているつもりだったらしいが、
言葉にはなっていなかった。
コドモには学校休んできなさい、と言ったが、
部活で佳境だし、休めない、と。
目を見開き続けている父はまさに「鬼気迫る」様子だった。
「郡山の、紫陽花を世田谷のうちの庭に植えようね」
というと、大きくまばたきをした。
夕方、部活を切り上げたコドモを吉良君が連れてきて、
病室に家族全員がそろうと安心したように息を引き取った。
大きく大きく吸った、最後の息はどこにいったんだろう。
いろいろな表情をして、
そして最後はほっとしたような顔になった。
二年前のこと。
最近また父の夢をよく見る。金木犀が咲いている頃だった。
郡山の紫陽花を、なんとかして植えなくちゃ。
父との約束のために。
父のこと
http://koko.asablo.jp/blog/2011/10/25/6169791
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