あたらしいとし ― 2012/01/01
いろいろなことがありすぎた一年を越しました
明日ということばが
いつも光を抱いている
そんな一年になりますように
ばたばたしていてblogアップが滞っていましたが
写真をいくつか
12/27/マサキラ大饗宴の夜2011
インプロはワクワクゾクゾクの瞬間がだいすき
ぱあっと燃え上がってすうっと引いていくあの感じ
他ではなかなか味わえない
左から
坂本弘道 佐藤正治 吉良知彦 小峰公子 杉林恭雄
@Jz Brat
撮影:佐藤香
12/29/zabakaraqujilapkinoxで忘年会
もはや師走の風物詩と言っても過言ではないこのライヴ
かなりヘトヘトに完全燃焼しましたよっ
(それなのにその後ねこカル忘年会にいきましたけどね)

左から
杉林恭雄 小峰公子 青木孝明 吉良知彦 楠均
@代官山 晴れたら空に豆まいて
撮影:杉林里美
明日は歌い初め!! ― 2012/01/06
みなさま、また明日から連休ざます
そしてワレワレは明日、歌い初め!
主催の寺澤さんのメールをそのままご紹介すると
「なにぶん、リハなし、リクエスト形式、
新年会な様相で進行いたしますので、
うだうだ感 満載の初弾き!」
だそうです
ねこカル忘年会を超えるうだうだとなるか??
お待ちしています
Moment Strings 初弾き!新年会(ライブ)
日時:2012年1月7日(土)
18:30開場19:30開演23:00終了予定
会場:東京・目黒「東京倶楽部」
品川区上大崎2-18-20 中銀目黒駅前マンション地下1階
http://www.tokyo-club.com/meguro/access/
出演:モーメント・ストリングス
Vln- 小野瀬はるか 山本紗由 有馬真帆子 木野裕子
Vla- 小弥祐介 飯田香
Vc - 郷田祐美子
Pf - 石黒唯久
ゲスト:吉良知彦・小峰公子(from ZABADAK)
久保田洋司・大森ヒデノリ
そしてワレワレは明日、歌い初め!
主催の寺澤さんのメールをそのままご紹介すると
「なにぶん、リハなし、リクエスト形式、
新年会な様相で進行いたしますので、
うだうだ感 満載の初弾き!」
だそうです
ねこカル忘年会を超えるうだうだとなるか??
お待ちしています
Moment Strings 初弾き!新年会(ライブ)
日時:2012年1月7日(土)
18:30開場19:30開演23:00終了予定
会場:東京・目黒「東京倶楽部」
品川区上大崎2-18-20 中銀目黒駅前マンション地下1階
http://www.tokyo-club.com/meguro/access/
出演:モーメント・ストリングス
Vln- 小野瀬はるか 山本紗由 有馬真帆子 木野裕子
Vla- 小弥祐介 飯田香
Vc - 郷田祐美子
Pf - 石黒唯久
ゲスト:吉良知彦・小峰公子(from ZABADAK)
久保田洋司・大森ヒデノリ
あの日からのこと その1 ― 2012/01/09
まとめて書こうと思っていて
ところどころに書き散らし
なかなか一つに書けなかったこと
私は1991年にkarakでデビューしてからずっと
プロフィールに
「自然からもらったものだけで満ち足りることの
大切さを歌いたい」
と書いてきました。
その、私の歌詩のおおもとになったことと
そして震災の、あの日からのこと、です。
うまく書けないかもしれないから
その1、にしました。
80年代後半、反原発運動がさかんでした。
「DAYS JAPAN」を始めとする雑誌では
盛んに特集が組まれ
「朝まで生テレビ」などでも
盛んに討論が繰り広げられていました。
身内が自腹で「まだ間に合うのなら」を百冊買って
友人知人に配り、「反原発自宅闘争」をしていました。
今と同じく
電力会社と政界や財界との癒着という構造を倒そうと
あちこちで反原発集会が開かれ私も何度か参加しました。
でもそこでの「運動」は
学生運動を経た方々が中心となっているような印象で
時に「三里塚」などののぼりも見受けられました。
ハチマキをし、集会の最後に拳を突き上げて
「私たちの力で原発を停めましょう、おー」
という「運動」然としたものに
私は激しく違和感を憶えました。
海外の反原発住民運動のリーダーを招いた集会でも
参加者とのディスカッションでは
長々とした自己紹介に始まり、私的な訴えばかりで
どうにも発展的とは思えない内容に
失望したこともあります。
(現在の、実際の原発被害体験を話して
知ってもらうということとは別です、顕示欲を感じました)
集会からはいつもがっかりして帰るのでした。
そして思ったことは、
私はこの思いを作品にむけるしかないな
ということでした。
やりかたはいろいろあるだろう、と。
もちろんできる限り署名したり
といった行動はしていましたよ。
karakのファーストアルバム「silent days」のテーマは
核戦争後の世界、でした。
これは当時インタヴューでも何度か言っていましたが
タルコフスキーの「ストーカー」
「サクリファイス」などの影響も大いにありました。
アルバム最後の曲「老人と船」の歌詩は
今そのまま、福島の海の出来事のようです。
先日、地元の某テレビ局勤務の友人が
震災一周年記念(?)のイベントが
目白押しだ、と暗い声で言いました。
fukushimaやフクシマ、と
アルファベットヤカタカナ表記を冠したイベントが
きっとたくさん開かれるでしょう。
Twitterでも書いたのですが、私の出身地は福島であって
fukushimaでもフクシマでもありません。
もちろん善意には違いないとは思うのですが
私はそれらには参加する気持ちにはなれません。
音楽で得たお金を福島県の災害対策本部に寄付する。
これまでと同じ姿勢で、同じ気持で誠実に作品を作る。
そしてそれを続ける。
それが私にできることです。
現在の反原発運動は80年代とは確実に違うと思います。
情報の量がまず違います。
しかし「反原発」の名のもとに
首を傾げる様な情報や動きもあり
ネットの力もあって80年代とはまた違う危なさも感じます。
はっきりしておきますけど、私は
原発反対、大反対、です。
めざせ脱原発です。
あの日
以前から原発事故の恐ろしさを
少しでも想像していた人にとっては
まさに恐れていたこと
まさか、あの最悪のケースのシナリオ通り
地震、事故・・
Macに流れるニュースに向かって
「うわあ実際に起こってしまったなんて!!」
と叫んでしまいました。
コドモ(中3)が
「どういうこと?」というので
反原発運動のことなどを話しました。
そしてコドモから
「(80年代の運動は)失敗だったってことじゃん
ちゃんとやってれば原発事故もなかったのに」
と言われたときの胸の塞がる思いは
いつまでも消えないのです。
ところどころに書き散らし
なかなか一つに書けなかったこと
私は1991年にkarakでデビューしてからずっと
プロフィールに
「自然からもらったものだけで満ち足りることの
大切さを歌いたい」
と書いてきました。
その、私の歌詩のおおもとになったことと
そして震災の、あの日からのこと、です。
うまく書けないかもしれないから
その1、にしました。
80年代後半、反原発運動がさかんでした。
「DAYS JAPAN」を始めとする雑誌では
盛んに特集が組まれ
「朝まで生テレビ」などでも
盛んに討論が繰り広げられていました。
身内が自腹で「まだ間に合うのなら」を百冊買って
友人知人に配り、「反原発自宅闘争」をしていました。
今と同じく
電力会社と政界や財界との癒着という構造を倒そうと
あちこちで反原発集会が開かれ私も何度か参加しました。
でもそこでの「運動」は
学生運動を経た方々が中心となっているような印象で
時に「三里塚」などののぼりも見受けられました。
ハチマキをし、集会の最後に拳を突き上げて
「私たちの力で原発を停めましょう、おー」
という「運動」然としたものに
私は激しく違和感を憶えました。
海外の反原発住民運動のリーダーを招いた集会でも
参加者とのディスカッションでは
長々とした自己紹介に始まり、私的な訴えばかりで
どうにも発展的とは思えない内容に
失望したこともあります。
(現在の、実際の原発被害体験を話して
知ってもらうということとは別です、顕示欲を感じました)
集会からはいつもがっかりして帰るのでした。
そして思ったことは、
私はこの思いを作品にむけるしかないな
ということでした。
やりかたはいろいろあるだろう、と。
もちろんできる限り署名したり
といった行動はしていましたよ。
karakのファーストアルバム「silent days」のテーマは
核戦争後の世界、でした。
これは当時インタヴューでも何度か言っていましたが
タルコフスキーの「ストーカー」
「サクリファイス」などの影響も大いにありました。
アルバム最後の曲「老人と船」の歌詩は
今そのまま、福島の海の出来事のようです。
先日、地元の某テレビ局勤務の友人が
震災一周年記念(?)のイベントが
目白押しだ、と暗い声で言いました。
fukushimaやフクシマ、と
アルファベットヤカタカナ表記を冠したイベントが
きっとたくさん開かれるでしょう。
Twitterでも書いたのですが、私の出身地は福島であって
fukushimaでもフクシマでもありません。
もちろん善意には違いないとは思うのですが
私はそれらには参加する気持ちにはなれません。
音楽で得たお金を福島県の災害対策本部に寄付する。
これまでと同じ姿勢で、同じ気持で誠実に作品を作る。
そしてそれを続ける。
それが私にできることです。
現在の反原発運動は80年代とは確実に違うと思います。
情報の量がまず違います。
しかし「反原発」の名のもとに
首を傾げる様な情報や動きもあり
ネットの力もあって80年代とはまた違う危なさも感じます。
はっきりしておきますけど、私は
原発反対、大反対、です。
めざせ脱原発です。
あの日
以前から原発事故の恐ろしさを
少しでも想像していた人にとっては
まさに恐れていたこと
まさか、あの最悪のケースのシナリオ通り
地震、事故・・
Macに流れるニュースに向かって
「うわあ実際に起こってしまったなんて!!」
と叫んでしまいました。
コドモ(中3)が
「どういうこと?」というので
反原発運動のことなどを話しました。
そしてコドモから
「(80年代の運動は)失敗だったってことじゃん
ちゃんとやってれば原発事故もなかったのに」
と言われたときの胸の塞がる思いは
いつまでも消えないのです。
Dino Baffetti〜私のアコーディオン ― 2012/01/15

アコーディオニスト・藤野由佳さんの紹介で
アコーディオンの調整には
「TOKYOベイアコ」に伺っている。
昨年、いつも使ってるちっちゃいカワイイやつの
ベルトが切れちゃったので修理に伺ったら
ベイアコのオーナー原田さんが
「5分でいいですから見てってください、
小峰さんにぴったりのがあるんです」
と取りいだしたるイタリアのアコーディオン一台。
なんと美しい。
なんと素敵な音色・・
ということでベルトを直しに行ったのが
お買い上げしてしまったのであった。
衝動買い。
これです。
ワタクシの写真も載せてくださってます。
http://act-bay.com/import/2015083482kg.html
ベイアコには魅力的なアコーディオンがたくさんあって
アコーディオン好きの方には
大変に危険で素敵なところよ。
アコーディオンの調整には
「TOKYOベイアコ」に伺っている。
昨年、いつも使ってるちっちゃいカワイイやつの
ベルトが切れちゃったので修理に伺ったら
ベイアコのオーナー原田さんが
「5分でいいですから見てってください、
小峰さんにぴったりのがあるんです」
と取りいだしたるイタリアのアコーディオン一台。
なんと美しい。
なんと素敵な音色・・
ということでベルトを直しに行ったのが
お買い上げしてしまったのであった。
衝動買い。
これです。
ワタクシの写真も載せてくださってます。
http://act-bay.com/import/2015083482kg.html
ベイアコには魅力的なアコーディオンがたくさんあって
アコーディオン好きの方には
大変に危険で素敵なところよ。
17年まえ ― 2012/01/17
17年前の今日のあさのことは
よく憶えている
早くに起きてテレビをつけたら
煙の上がる神戸の町の映像
しばらくして起きてきた吉良君に
「神戸が大変なことになってる」
と言った
たしか前日ケンカしてたのだった
そんなのすぐにふっとぶ
宝塚に住んでいる友人と連絡がつかず
はらはらした
(のちに蓼科の別荘にいたとわかった)
その日のあと、新宿に行ったら
デパートには
たくさんのきれいな食べ物がならんでいた
同じ国なのにへん、と思った
現実がやけに遠くに感じた
自然災害、事故、病気
知ってる人の死
知らない多くの人の死
年を重ねるごとに
悲しい記憶の記念日が増えてしまうのは
しかたのないことだろう
おなじくらい楽しい記念日がふえて
美しかった時間を
いつも思い出せるといいのに
と思う
そうしなくては、ね
生きてるから
よく憶えている
早くに起きてテレビをつけたら
煙の上がる神戸の町の映像
しばらくして起きてきた吉良君に
「神戸が大変なことになってる」
と言った
たしか前日ケンカしてたのだった
そんなのすぐにふっとぶ
宝塚に住んでいる友人と連絡がつかず
はらはらした
(のちに蓼科の別荘にいたとわかった)
その日のあと、新宿に行ったら
デパートには
たくさんのきれいな食べ物がならんでいた
同じ国なのにへん、と思った
現実がやけに遠くに感じた
自然災害、事故、病気
知ってる人の死
知らない多くの人の死
年を重ねるごとに
悲しい記憶の記念日が増えてしまうのは
しかたのないことだろう
おなじくらい楽しい記念日がふえて
美しかった時間を
いつも思い出せるといいのに
と思う
そうしなくては、ね
生きてるから
この日はあけておいて ― 2012/01/28
年始からコソコソと進めてきたこの企画、
いよいよ始動です。
詳しくはのちほど、まず情報だけですが、
この日はあけておいて!
La Compagnie An + 小峰公子
「やま」by 小峰公子/「NaCl」by 西山水木
「ココニオイデ」by ZABADAK
小峰公子書きおろしの詩と西山水木の紡ぐ演劇空間
zabadakとソウルのカリスマ人気DJ・Jung TaeHyo
タマシイのコラボレーションを目撃せよ!
作:小峰公子(zabadak)西山水木
演出:西山水木
音楽:ZABADAK Jung TaeHyo
企画:ラカンパニーアン 小峰公子
出演:小峰公子 西山水木 洪明花 福沢亜希子
DJ : Jung TaeHyo
日時:
2012年3月24日(土)
ソワレ:開場18:30 開演19:00
3月25日(日)
マチネ:開場12:30 開演13:00
ソワレ:開場16:30 開演17:00
料金:前売 3,800円
当日 4,300円
会場:SPACE 雑遊
地下鉄都営新宿線・新宿三丁目駅 C5出口目の前
〒160-0022 東京都新宿区新宿3-8-8 新宿O・TビルB1F
URL : http://www.zatsuyu.com
E-mail : info@zatsuyu.com / TEL : 090-8846-5379
いよいよ始動です。
詳しくはのちほど、まず情報だけですが、
この日はあけておいて!
La Compagnie An + 小峰公子
「やま」by 小峰公子/「NaCl」by 西山水木
「ココニオイデ」by ZABADAK
小峰公子書きおろしの詩と西山水木の紡ぐ演劇空間
zabadakとソウルのカリスマ人気DJ・Jung TaeHyo
タマシイのコラボレーションを目撃せよ!
作:小峰公子(zabadak)西山水木
演出:西山水木
音楽:ZABADAK Jung TaeHyo
企画:ラカンパニーアン 小峰公子
出演:小峰公子 西山水木 洪明花 福沢亜希子
DJ : Jung TaeHyo
日時:
2012年3月24日(土)
ソワレ:開場18:30 開演19:00
3月25日(日)
マチネ:開場12:30 開演13:00
ソワレ:開場16:30 開演17:00
料金:前売 3,800円
当日 4,300円
会場:SPACE 雑遊
地下鉄都営新宿線・新宿三丁目駅 C5出口目の前
〒160-0022 東京都新宿区新宿3-8-8 新宿O・TビルB1F
URL : http://www.zatsuyu.com
E-mail : info@zatsuyu.com / TEL : 090-8846-5379
意味づけは脳味噌を疲弊させるほどの価値はない ― 2012/01/29
昨日、フランス人の作演出家、ヤン・アレグレの芝居
「雪~neiges~」をみてきました。
ヤンの以前の公演の稽古で、役者さんたちに
ヴォイス・トレーニングをさせていただいたことがあり
zabadakがパリでコンサートをしたときに
ヤンが見に来てくれたり・・
ヤンとは何年かに一度めぐりあわせる彗星のような出会いです。
ヤンの、日記のような
独白のような台本を翻訳をしたのは、
昨年フランスで出会った、若き翻訳家
オサレ王子と異名をとる平野暁人さん。
去年のパリ日記にも登場。
平野さん、てか「平野くん」がしっくりくるな。
昨日は平野くん進行でアフター・トークもあり
これがまたオオウケでした。
芝居の最後にチェーホフの言葉が引用されていました。
ちゃんと憶えてないけど
「人生の意味づけなんて意味が無いよ
それはきみのかわいそうな脳味噌を
疲弊させるほどの価値はないよ」
というような意味だったと思います。
ちょうど一年前、ある俳優さんとパリで会いました。
その後やりとりしたメールで、彼女に
「私は友人の死のあと、
もう、ものごとに意味付けをするのをやめました。
「整理する」とか「区切りをつける」とかも。」
とメールしたことを思い出していました。
私は一昨年大切な友達が自殺してから
「意味づけ」を考えるのをやめてしまった。
だから
チェーホフに
「それでいいんですよ」
って言われた気分。
(まあ、それで今頃になって混乱してる部分もあるのですが
それはこれから考えることに)
芝居のあとは青年団の役者にして翻訳者・松田弘子さん
思いがけず一年ぶりに会えた、パリから帰国中の
通訳のゆうちゃん、そして平野くん、という
翻訳家まみれのメンバーでモロッコ料理を食べて
たくさんの芝居の話。楽しかった!
(最近音楽より芝居のはなしばっか??)
昨日のブログでアップしましたが
今は3月の公演のことで
私の小さい「かわいそうな脳味噌」を忙しくしています。
これまでに脳味噌に降り積もった雪を
言葉にして出していきます。
どうか、見に来てね。
「雪~neiges~」をみてきました。
ヤンの以前の公演の稽古で、役者さんたちに
ヴォイス・トレーニングをさせていただいたことがあり
zabadakがパリでコンサートをしたときに
ヤンが見に来てくれたり・・
ヤンとは何年かに一度めぐりあわせる彗星のような出会いです。
ヤンの、日記のような
独白のような台本を翻訳をしたのは、
昨年フランスで出会った、若き翻訳家
オサレ王子と異名をとる平野暁人さん。
去年のパリ日記にも登場。
平野さん、てか「平野くん」がしっくりくるな。
昨日は平野くん進行でアフター・トークもあり
これがまたオオウケでした。
芝居の最後にチェーホフの言葉が引用されていました。
ちゃんと憶えてないけど
「人生の意味づけなんて意味が無いよ
それはきみのかわいそうな脳味噌を
疲弊させるほどの価値はないよ」
というような意味だったと思います。
ちょうど一年前、ある俳優さんとパリで会いました。
その後やりとりしたメールで、彼女に
「私は友人の死のあと、
もう、ものごとに意味付けをするのをやめました。
「整理する」とか「区切りをつける」とかも。」
とメールしたことを思い出していました。
私は一昨年大切な友達が自殺してから
「意味づけ」を考えるのをやめてしまった。
だから
チェーホフに
「それでいいんですよ」
って言われた気分。
(まあ、それで今頃になって混乱してる部分もあるのですが
それはこれから考えることに)
芝居のあとは青年団の役者にして翻訳者・松田弘子さん
思いがけず一年ぶりに会えた、パリから帰国中の
通訳のゆうちゃん、そして平野くん、という
翻訳家まみれのメンバーでモロッコ料理を食べて
たくさんの芝居の話。楽しかった!
(最近音楽より芝居のはなしばっか??)
昨日のブログでアップしましたが
今は3月の公演のことで
私の小さい「かわいそうな脳味噌」を忙しくしています。
これまでに脳味噌に降り積もった雪を
言葉にして出していきます。
どうか、見に来てね。
「科学と神秘のあいだ」意味づけをめぐる、ぐるぐる ― 2012/01/30

物理学者・菊池誠先生の
「科学と神秘のあいだ」を読みました。
菊池先生、キクマコ先生は
難波弘之さんのSFつながりのお友だちで
大阪でzabadakがコンサートをしたときに
ご紹介いただきました。
「科学と神秘のあいだ」は、難しいことも
まるで隣にいるように話してくださっているようで
こちらは「うんうん」と
頷いてしまうよう。
これまで垣間見もしなかったような分野と
ロックなハナシが交錯する
とても面白い本なのです。
震災〜原発事故のあとに起こっている
様々な問題も予見していたかのようです。
「こーゆーのにはひっかからないよーに」
って、もう先生は言ってたじゃん!!
って。
未読の方はぜひお読みください。
(実はテルミンに興味を持ってしまう本でもある)
で、私がどきんとしたのは
昨日のブログ
http://koko.asablo.jp/blog/2012/01/29/6310662
とも関係があるのですが
「希望は持つもので、事実は受け入れるものだから」
という一文でした。
事実は受け入れるもの。
ヤンの芝居のなかの
チェーホフの言葉で勇気づけられた私でしたが
その裏で
その難しさに気がついていました。
未整理で意味づけをなしていない事実を
脳味噌、いやココロ?にあるがままにしておくこと、
それには強靭な心が必要かも。
意味づけせずに置くことと、
受け入れることってちがう。
事実を受け入れるためは
「意味づけ」や
「折り合い」や
「落としどころ」
まあ、ヒトはいろんなファイル名で
脳内に「置き場所」を作っていくのでしょう。
でも「意味づけ」を拒否した
私の脳味噌デスクトップは
散らかしっぱなし
事実を受け入れること、してなかった。
(きのうのブログに書いたとおりです)
そろそろ脳内ファイルを作らないといけない時期なのかな
と思いつつ
そのぐちゃぐちゃから何かを作っていく時期なのかなとも
思っていたりして
強引だったり過剰だったりヒステリックだったり、
共同幻想的だったりの「意味づけ」はちがう(危険?)
というのはこの本を読めばわかると思います。
で、事実を受け入れるまでに至ってなかった
ってことに思い至ったのですから
「科学と神秘のあいだ」を読んだことは
今の私には意味があった。
・・という
「意味づけ」を「控えめに」した私でした。
「科学と神秘のあいだ」を読みました。
菊池先生、キクマコ先生は
難波弘之さんのSFつながりのお友だちで
大阪でzabadakがコンサートをしたときに
ご紹介いただきました。
「科学と神秘のあいだ」は、難しいことも
まるで隣にいるように話してくださっているようで
こちらは「うんうん」と
頷いてしまうよう。
これまで垣間見もしなかったような分野と
ロックなハナシが交錯する
とても面白い本なのです。
震災〜原発事故のあとに起こっている
様々な問題も予見していたかのようです。
「こーゆーのにはひっかからないよーに」
って、もう先生は言ってたじゃん!!
って。
未読の方はぜひお読みください。
(実はテルミンに興味を持ってしまう本でもある)
で、私がどきんとしたのは
昨日のブログ
http://koko.asablo.jp/blog/2012/01/29/6310662
とも関係があるのですが
「希望は持つもので、事実は受け入れるものだから」
という一文でした。
事実は受け入れるもの。
ヤンの芝居のなかの
チェーホフの言葉で勇気づけられた私でしたが
その裏で
その難しさに気がついていました。
未整理で意味づけをなしていない事実を
脳味噌、いやココロ?にあるがままにしておくこと、
それには強靭な心が必要かも。
意味づけせずに置くことと、
受け入れることってちがう。
事実を受け入れるためは
「意味づけ」や
「折り合い」や
「落としどころ」
まあ、ヒトはいろんなファイル名で
脳内に「置き場所」を作っていくのでしょう。
でも「意味づけ」を拒否した
私の脳味噌デスクトップは
散らかしっぱなし
事実を受け入れること、してなかった。
(きのうのブログに書いたとおりです)
そろそろ脳内ファイルを作らないといけない時期なのかな
と思いつつ
そのぐちゃぐちゃから何かを作っていく時期なのかなとも
思っていたりして
強引だったり過剰だったりヒステリックだったり、
共同幻想的だったりの「意味づけ」はちがう(危険?)
というのはこの本を読めばわかると思います。
で、事実を受け入れるまでに至ってなかった
ってことに思い至ったのですから
「科学と神秘のあいだ」を読んだことは
今の私には意味があった。
・・という
「意味づけ」を「控えめに」した私でした。
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