帰省2011/04/17

震災後初めて実家に帰った。

吉良君の運転で、兄と三人。
東北自動車道で郡山まで。

いい天気で、山桜が満開の北関東は
今日本に起きていることなど関係ないように
のどかで美しく見えるが
北上する車は各地の救援隊の車両が多く
明らかにいつもの東北道とは様子が違う。

雪の残る那須をすぎたころから
道路に新しいアスファルトが目立つようになる。
長い間通行止めになってたわけがわかる。

福島県に入ると屋根の瓦が落ちたところを
ビニールシートで覆った家が目立つように。

インターを降りて一般道へ。
ブロック塀が倒れたらしい箇所が目立つ。
あまり歩いている人を見かけないが
車にのっている人も大抵マスクをしている。

ドキドキして実家入る。
隣に親戚や知人もおり、大谷石の塀が崩れた以外
家屋は無事との報告はもらっていた。
塀は庭師の方にきれいに片付けていただいた後だったので
外からはそう被害はないように見えたが
玄関を開けると、物が散乱・・
しかも台所からの食器が割れてこっちまできてるよ。
家具の扉はすべて開いてる。
郡山のみなさんの話から
予想はしていたのですが・・

両親は一昨年から東京住まいで、
でもときどき帰郷したりしていたし、
いつでも住めるようにはなっていたんだけど

地震の時にここにいたら
ものすごい音だっただろう・・。
つくづく、親がここにいなくてラッキーだった、
と思った。


思ったよりも一階は大丈夫ながら
(壊れて困るような高価な物はもともとなかったし)
後片付けは一人ではちょっと無理、
兄妹で帰省して
一週間位かけないと整理できないかな、という状態。

ざっと持ち帰りたいものを整理したところで
友人宅へ行き、そのあと駅前の
「ふれあい科学館」へ。
コンサートをしたプラネの安藤さんにご挨拶に伺う。

みんな、明るくしてるのが救いだけど
余震が頻繁な上に原発の不安。
心が痛む・・
小学生はマスクに手袋、肌を出さないように、
外で遊ばないように、と指導されているそうだ。
こんなお天気の日に外で遊ぶ子ども、
誰も見かけなかった。

やはりみんな、県内では飯舘ほどではないにしろ
福島、郡山の放射能数値が高いことを
心配していた。

またコンサートにくるね、とみんなに約束して
郡山をあとに。

車窓から那須に沈む夕日を眺めながら
ブルガリアン・ヴォイスのCDを聴いた。

帰省して夏、庭でコドモと花火をした、
またあんなふうに過ごせるんだろうか。

いわきや相馬、宮城、岩手
見えない放射能に怯える土地から
車はどんどん離れていくけれど
重苦しさは離れない。


原発がもうこれ以上の被害を出さないことを
強く願う。