Paris日記〜その102006/08/24

8月1日

6時起床。早すぎ??
部屋でヨーグルトとフルーツを食べてカメラとレンズを
揃えて7時半に出掛ける。
ホテル最寄りのキャトル・セプタンブルから
サン・ラザールまでメトロで。
歩ける距離だけど体力温存!
ここからまずヴェルノンまで電車、そこから
ジヴェルニーのモネの家までバスで行くことになる。
水とポテチを買ったが、駅の売店の水が高くてびっくりだ。
フツー0.4ユーロ(60円くらい)で買えるようなのが
1.8ユーロだよ。お水が300円もするかああ。
みなさん、お気をつけて。家族で買ったら大変だよ。
出来るだけスーパーで調達しましょう。

電車は発車時刻が近づくと出発ホームが
パネルに表示されるのだがまだ出ていない。
15分前でもまだなの?
インフォメーションのおねえさんに訊いてみた。
「ヴェルノン行きは多分20番線から30番線のあいだ」
と言ってウィンクを投げられた.

やっと表示されて切符を改札機に通し
二階建ての電車に乗り込む。
8時16分発。すいてる。
朝ぱらぱら降っていた雨がちょっと強くなったのが
心配だったがしばらく走るうちに
彼方の空が晴れ渡ってきた。よしよし。

ここからしばらくZABADAKの新曲を聴きつつ
フランスの田舎の風景を堪能である。

電車は9時ちょっと過ぎにヴェルノンに到着。
ちっちゃい駅だ。
ここで降りるヒトはほとんどモネの庭行きの人たちらしい。
みんなのあとをぞろぞろ付いてバスに乗り込む。

いちばん後ろから二番目の席につくと、うしろに
日本人の中年カップルがいらした。
帰りのバスの時間を気にして話し合っていたので
ミッシェルがもらってくれた時刻表を見せてあげた。
彼らは昨日パリに着いて、ここからノルマンディーの
ほうまで何泊かしてドイツに行くのだそうだ。
ご主人はドイツ語は話せるけどフランス語が全く
わからなくてまいりました、とおっしゃる。
挨拶と要所要所の単語だけフランス語、
あとはブロークン英語で押し通して
何とかなった気になっている私って一体・・・。

9時半頃に終点のジヴェルニーに到着。
そこからゆっくりあるいて3分くらいでモネの家に到着。
開館は10時なので行列に並んでしばしまたおしゃべり。
彼らは旅行の途中なので全ての荷物を携行していたが
入場券を買って訊いてみると
ここでは荷物を預かってもらえないんだって。
近くにカフェがあると薫ちゃんたちからきいていたので
そこで置かせてもらったらどうでしょうか、と
提案したら、行ってみます、というので
売店でマップを彼らの分ももらって渡し、
(このへんが私のおせっかいなところやね)
そこで別れる。

事前にネットで調べた所によると売店は団体客が来ると
めちゃ混むので、先に買い物をしたほうがいいらしいけど
ざっと見たところ別に欲しいものはないな。
写真を早く撮りたい!!

ここは今はモネ財団が管理していて、
モネの住んでいた家とその前のお庭、
道を隔てたところに広がるあの、睡蓮の池から成っている。
http://www.fondation-monet.com/

おうちのほうは後回し、まずは池!!
池は庭を突っ切り道路のむこうにあり
道の下をくぐる通路が造られているがその壁に
アカタテハ。似合うねえ。
そこを抜けると池への道らしき小道。
そして池へ続くらしき小川。
全貌を早く掴みたいココロとゆっくり見たいココロが
せめぎ合うのをベンチに座りカメラのレンズを交換しつつ
落ち着かせる。
広角から標準レンズかな、と思っていたら
道々の植物が美しくてマクロレンズにせざるを得ないのだ。
くうううううううううう。

じきに池が現れた。

本当に絵のままだ。

日本風の橋。
柳の大木。
様々な多くの植物が美しくさりげなく配されていて
まるで自然に生えてきたように見える。
睡蓮は何種類かあるみたい。
ピンクや白の花が咲いていた。

気が済むまで池を2周半、撮影しまくった。
池にはたくさんお魚が泳いでいて
ウチの家族なら魚に目がいっていたと思うのだが
魚に言及していた見学者には出会わなかったなあ。
タテハを撮っていたら「バタフライ」と言った
おっさんがいたけど。

家の方に移動してお庭をまた撮影しつつ歩く。
家はこじんまりとしているが壁紙等かわいらしい。
特にキッチン。ここでどんなお料理が作られたのかな。
使う人はいなくても、あったかさの記憶が
壁やテーブルに残るキッチンだった。

入場してから2時間半ほどたっていた。
村に出てゴハン食べよう。
ぷらぷら歩いていると先ほどバスで会ったご夫妻に再会。
不思議と庭では会いませんでしたね。
彼らは無事にカフェに荷物を預けることができたので
そこでゴハンにするそうだ。

アメリカン美術館のお庭により道しつつ
カフェまでおしゃべり。
また帰りのバスでご一緒するのでまた別れて
私は薫ちゃんおすすめのお店を探しにいく。

そこはホテルのレストランであいにく雨がぽつぽつきたので
オープンカフェは閉めているところだった。
ので室内の席へ。
お店はほぼ満席だったが一人だけなので
小さいテーブルに付く事ができた。
ターキーのクリーム煮ジャガイモとチーズの重ね焼き添えと
コート・デュ・ローヌのロゼを注文する。
マッシュルームが入ったソースで美味なり。
満腹中枢がやられない程度にゆったりと食事。
ロゼ二杯飲んじゃった。

隣りの席のご夫人ふたりもよく飲むなあ。
ボトル二本目でっせ。

デザートも食べようかな、と思ったけど
隣りのを見たら巨大。カフェで締める。
あー。おいしかった。

帰りのバスの時間まで余裕があるので
村の細い道を入って散歩。
モネの家の前のショップまできたら
雨がざあっと降ってきたので店で雨宿り。
ここはカフェとお土産物屋。
欲しいものはなさそうなので雨が小やみになったところで
また散歩。今回物欲ないなあ。

バス乗り場に行くとさっきのご夫婦がバスの窓から
手を振っている。
バスの料金は往路で払ったのは往復料金だったらしく
運転手にさっきのレシートを見せて、
と言われたが見つからない。
慌ててお財布の中のレシート群を探すがない。
これはね、夕べのゴハンでしょ。これは、ああ、モノプリ、
とか言ってレシート見てたら
「マダム、いいですよ、どうぞ行って」と言われた。ほっ。
みなさま、気をつけてレシートはちゃんと
とっておいてください。
で、先ほどのご夫婦とまたいろいろと話しながら駅まで。
なんとご主人は裁判所の判事さん。
毎年いろいろなところを旅しているそうだ。

彼らはさらにこの先へ行くので駅で別れる。
先にきた私の電車の窓から手を振ると、ダンナ様のほうが
見つけてくれた。視界を流れる一瞬、奥さんにほら、いたよ、
というような仕草。奥さんがこちらの方を向いた。
きっと見えなくても手を振ってくれたんだろう。
私も振ってたよ。
いい方達だったな。奥さんは植物にとても詳しくて
話がはずんでしまった。

あとはパリに戻るだけ。

モネの庭・睡蓮の池2006/08/24

絵のままの世界でした。

モネの庭・睡蓮の池22006/08/24

日本風の橋から

Paris日記〜その112006/08/24

ホテルでシャワーを浴びてもう夕方、と言ってもまだ明るい。
薫ちゃんに無事行って来れたよ、と電話で報告したら
敏さんが急に入院になってしまった、と。
敏さんは私が来る前に手術したばかりだった。
外科的な事で経過が良くなかったらしい。
・・・心配すぎる。
薫ちゃんも大丈夫かな・・・・。

ミッシェルにお礼の電話をして
晩ご飯を一緒に食べることにした。
「namiki」という、日本人の作るフランス料理の店。
ステーキの付け合わせが天ぷらだったりするのが
日本ではあり得ないのだがとてもおいしく
リーズナブルでサーヴィスもよかった。
ガメイを一本あける。
ミッシェルは一年間の留学生活をもうすぐ終える。
友人たちはみな、じゃあ、ミッシェルがいるあいだに
フランスに行くね、と言ったけれど、本当に来たのは
お母様と来月来る妹さん、そして私だけだそうだ。
そういえば前回パリに来た時に敏さんに
「みんなまた来るね、って言って帰っちゃうけど
本当にまた来たのは公子ちゃんだけだよ」
と言われたな。

ミッシェルがお散歩しましょう、というので
夜のパリをふらふら。
パリ・プラージュに行こう、と言っていたのに
観覧車を見たらあれにのろう!!ということになって
チュイルリー公園を目指す。

「ショートカットしましょう」
と彼女は迷路のように刈り込まれたガーデンをズガズガズガ、
と入っていったが。植え込みの角々に妖しく
孤独なオーラ爆発の男性がひとり、またひとりと立っている。
「あれ、ゲイだね」と私。
「ええーー。そうですかああ」
ひゃああー。気がつくといっぱいいるよ。
通り抜けようとしたところが行き止まりの柵に成っていて
乗り越えようとしたり戻ったりしながら
どうにかゲイの出会いの広場、脱出。
あー。びっくりした。

観覧車は前にも乗ったけど、ただのお皿でスゴく怖かった。
けど何故か今回はへーきだ。
日本ではあり得ない早さでてっぺんに到着してしばし止まって
くれる。シャンゼリゼの凱旋門も見える。
きれい。きれいな街。
エッフェル塔のてっぺんからシャンパンがあふれるように
きらきらとイルミネーションが輝き、正時だとわかる。
これこれ。これがきれいなの。
12時の最終の回だったのね。

おいしいごはんときれいな夜。
ホテルまでおしゃべりしながらぷらぷらと歩いて帰る。